本日、横浜での6月の講座プログラムは最終日となります。
昨日も講座受講者の皆様から「来て良かった」と嬉しいお言葉をいただきました。
講座を開講してよかったと思える瞬間です。
受講者の皆様へ感謝申し上げます。
さて、今回の記事タイトルですが、
昨日のワークの中で出てきたお話しを含め、少し書いておきたいと思ったことを記します。
事例相談者の良いところ、できているところを承認していくことの大切さについて、
このブログでは頻繁にメッセージしているのですが、
(褒めてあげたい)
(承認していかなければ)
と意識し過ぎて、
どこかぎこちなかったり、
嘘っぽい感じになってしまったり、
お世辞っぽく表面的な感じになっていたりすることがあります。
論述試験の解答でも、
そのようなことばかり考えてしまうと、
ご自身が混乱してしまうのではないでしょうか。
かといって「問題は何か?」と問われて、
ただ問題と思われる事柄をあれこれ書いても、
何のためにこのプロセスを踏んでいるのか分からなくもなります。
問題と思われる事柄を挙げるだけであれば、
それほど難しいことではありませんね。
また一歩?深めて、
事例相談者の
「できてるところ・できていないところ」
を明確にすればいい!
というように一種の飴と鞭的な考え方でいけば、
受検する側としては、比較的、何をすれば良さそうかがわかりやすくて楽になれます。
ここで少し考えてみてください。
実技としてイメージしてみると気がつくところがあるかもしれませんが、
これでは目の前の事例相談者の持ち味や特徴を活かしきれないと思うのです。
昨日の講座でも少しお話しをしたのですが、
例えば、
できているところをせっかくフィードバックしてもらったのに、
(だけど…しかし…でも…)
みたいなワードが指導者の口から出てきたとき、
どうしても身構えてしまい、
結局、
これまで自己のやり方をせっかく肯定的に感じられパワーをもらったものが、
一気に奪われる瞬間が訪れます。
その接続の言葉には、
きっと反感や抵抗感、居心地の悪さを覚えるでしょう。
事例相談者は指摘されたことに言い訳をする場面を作らなければならなくなります。
その人の性格や関係性の深さなどによって諸々反応の異なりはあると思いますが、
論述においても、事例相談者との関係性は終始大切に考えて欲しい気がします。
事例指導者の役割は指摘することよりも、
私たちの枠組みを一旦横に置いて、
事例相談者の立場になって大切にしていることをわかろうとする姿勢が終始必要なのではないかと思うのです。
事例指導者が問題だと思ったことに気づかせることがここ一番の展開であると思っているとすれば、
それは異なるのかもしれません。
事例相談者が大切にしていることがあるからこそ、
そこにつながる気がかりなことが存在するのであり、
その気がかりなことにつながる事例指導者の視点が、
事例相談者にとって知りたいことにもつながるのではないかと思います。
「できているところ、できていないところ」
というように、整理したくなってしまうのは、
事例指導者の思考の都合からなのかもしれません。
事例相談者からすればメリハリをつけ分けて考えられることではないことも多いので、
その辺りを色々と深めてみると訓練になるのではないかと感じます。