論述試験で、
《どのような問題があるか》
《抱えている問題は何か》
と問われたときに、
複数の問題点を記述解答することがあります。

(問題をたくさん記述した方がどれかは評価してもらえるだろうし、
その方が網羅的で安心だから…抜け目がない方が加点は確実ですよね)

こうしたお考えの指導者にご自身が指導をお願いできるだろうかと考えてみることもひとつの気づきになるのかもしれません。

そんなに多くの事柄や事象ばかりの問題を挙げられても、
事例相談者の成長を目的としたかかわりには繋がらないのではないかと私は感じます。

(いやいや、問題を絞るためのプロセスとしてできるだけ問題項目を明確に挙げていくことが必要で、そこから事例相談者に合わせて取り組む問題を決めればいい)

こんな風に考えている場合もあるかと思います。

それでは果たして事例相談者は何のために事例を自分でまとめてきたのか、
事例相談者が混乱してしまうかもしれません。

事例記録を起こすこと自体は、
それだけで意義のある自身の振り返りができているともいえます。

事例相談者が事例指導を受けるためにまとめた事例を使って、
事例指導者がそれをベースに事例相談者を指摘したのでは元も子もないのではないでしょうか。

事例相談者の持ち味や意図するところ、
支援として努めた点、その考えや捉え方、
様々にその人の特徴が背景にあるのではないでしょうか。

根拠をもって理解できるところ、
尊重できるところ、承認できるところ、
そうしたことをそれこそたくさん示すことができれば、
その分、勿体ないところを伝えられるだろうし、
事例相談者も受け入れやすくなるのではないかと思います。

(論述だし、問題は何か…と質問として問われているから…)

と試験の文字面だけをなぞっていると、
その問いの本質がいつまでも掴めないかもしれません。

何故、
事例指導者がそこまで事例に注目してしまうのか、
そうしたご自身の癖みたいなものに気づけることが、
事例指導者としてのひとつの成長なのかもしれません。

相談者の問題や、事例相談者の問題を書き並べられるだけ列挙するのでは、
事例相談者の考え方や感じ方、そしてその行動などに注目していない、
というか、
その人を否定することばかりに終始してしまうことになるのかもしれません。

事例相談者は相談者の問題をどのように捉えているのか、
そしてどのように支援を進めていこうとしたのか、
それを考えずに相談者の問題や事例相談者の問題等、理解できないのではないかと思います。

事例の文章にとらわれて、
事例相談者が記録したその背景にあるものを感じようとしなければ、
当然に、文章から問題点を書き出すことに躍起にならざるを得ないでしょう。

問題を把握するとき、
そんなにその人にいくつもの問題があるものでしょうか。

仮に問題らしきものがあったとしても、
それはここで指し示す必要のある問題なのでしょうか。

一番大切なことは、
相談している側が気になっていることにつながることを問題の本質として扱うことが必要なことだと思います。

問題をいくつも示したところで、
相談者や事例相談者にとってはどうしていいのかわかりません。

主役は目の前の相談している人です。

論述試験は問題をいくつ出せるか、
それを如何にロジカルに示せるか、
そんなことを競うテストではないと私は信じてます。

事例の内容から事例相談者への理解を深めていくことは、
何も特別な能力が必要なのではなく、
事例相談者の立場になって考えてみることでみえてくることだと考えます。

1級キャリアコンサルティング技能検定試験を受ける方は、
今一度、そうしたことを見直してみてはどうでしょう。
勿論、この記事の内容がフィットすればのお話しです。

論述だから面接とは違う!

というのではなく、

論述でも事例記録の扱い方が実技として適切でないと、
事例指導は成り立たないのではないかと私は思います。