1級キャリアコンサルティング技能検定の論述試験を考えるとき、

受検者(事例指導者)の方が陥りやすいことがあると感じます。

※私のひとつの考えや感じ方ですのでフィットする点だけを参考にしていただければ幸いです。

 

この論述試験は実技試験であり、

事例や各問の文字面だけを捉えて表層的に考えてしまうと事例に入り込んでしまうことになり兼ねません。

事例と各問にフォーカスしたワークになってしまうのです。

 

事例を読みながらも、

この事例をまとめてきたこの事例相談者にフォーカスして考えていかないと、

そもそも事例指導を受けるために来談した事例相談者の成長につながらないと思うのです。

この事例相談者の中から出てくるものを大切にするという心得が重要であると思います。

 

(論述でそんなことができるのか)

 

というような声が出てきそうですね…。

 

例えば、

「この相談者Aはどのような問題を抱えているか」

という問いを読んだとき、

問われたから考える、試験の問いだから考える、

といった感じだと事例指導者が中心となった考え方になるかと思います。

 

そうではなく、各問はさておき、

普通に考えてみれば、事例をまとめて来談された事例相談者と面接を進めるときは、

その事例を説明していただきながらも、事例相談者の相談者への見立て方や方針を一番大事にすると思います。

もっと書けば、その事例相談者の生き方や価値観にまでも理解を進めていこうと考えるのではないでしょうか。

 

それが実技であり、また、それも心得であると思います。

 

論述では確かに生身の相手がそこには居ませんが、

事例記録があるのですから、そこに描かれた情報を基に、

『この事例相談者は相談者との関係性をどのように感じているのだろうか、それは一体どんなところで感じていると推測できるだろうか』

『この事例相談者は相談者からの発言や態度を受け何を考えているのだろうか、それはどの対話でそれを考えただろうか』

『この事例相談者は相談者の問題をどのように把握しているのだろうか、それはどんなところからそのように捉えているのだろうか』

といった具合に、事例からこの事例相談者が考えていることや捉えたこと、感じたことや行動などを深めていくことで、

キャリアコンサルティングの基本的な段階にそってこの事例相談者の面談展開を知ることができる面が多いと思うのです。

 

それを理解しようとしないまま、試験だからといって事例の文字だけを捉えて過度に一般化しようとしたり、

背景にあるものを考えずにその現象から恣意的推論で事柄ばかりをネガティブに捉えてしまっていたりすると、

この事例指導面接の目的がどこか薄れてしまうのではないでしょうか。

 

論述試験は、問題用紙に「解答にあたっての注意事項」というものが書かれていて、

そこには、この事例相談者が事例指導を受けるためにまとめてきた事例であることが説明されています。

また各事例の冒頭にも同じことが太字で書かれています。

 

事例に書かれていることは、

この事例相談者が記憶にあり必要だと考えているからこそ、

記述できていることだと事例指導者が認識できていれば、

その事例内容を読んで、事例相談者のことを指摘したり、

また、相談者を如何にもわかったようなことにはならないと思います。

 

随分前、平木先生の教えの中で、

「人間への畏敬の気持ちが重要である」ということがありました。

 

人は一人ひとりかけがえのない自分の人生を送っていて、

だれからも後ろ指をさされることはなく、自分の人生の主人公である。

それを心の底で受け止められていることが重要であり、

そうした考え方を持てないカウンセラーは、自分の思い通りに動かしたくなる、

自分と異なった価値観や生き方をもつ人間に違和感を持ってしまうことに繋がる。

 

こうした学習メモを持ち歩き読み直すことがあります。

 

まさに事例指導を実施する者は、こうした忘れがちな課題をもって自問自答してみたり、

常に意識を改めてみたりする場面があることが大切だと信じています。

 

論述の解答にも、そんな考え方、そして心得がにじみ出るものかもしれません。

 

かくいう私は、出来ていないことも多く、常に過去問を活用したり自身の事例を活用し、

自身の今のあり方や考えを受け止め、そして目の前の人の尊厳をより大切に感じるように努力し、

それを文章化し表現していくことについて学びを続けています。

 

試験合格は、そうした学び途中での結果であり、

合格のために論述の書き方を考えるわけではないのだといつも自分に言い聞かせています。

 

それが私の心得のひとつなのです。