論述も面接も実技としての試験であり、
問題を相手と共有化していくプロセスは、きちんとプランとして考えられていることがより安定した支援提供に繋がると思います。

支援プランは相手の状況によって都度柔軟に変化するもので、
それは成り行きに任せることとは違います。

勿論、事例相談者の悩みやその事例自体は全て個別で、相談を受ける側の勝手な都合で面談を型にはめるようなことはあり得ないのではないかと感じます。

そうではなく、
その場その時でしっかりと相手にフィットしそうなプロセスを考えられているのかが大切です。

《当たり前だよ…》

と感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、

意外と論述でも面接でも、
自身が主体になって付け焼き刃的な書き方、進め方になっていそうなことや、
逆に、パターン化されたような書き方やお話しの進め方になってしまっていることもあるかもしれないのです。
※かくいう私もそうしたことで常に反省的振り返りを行い、
また客観的に事例をみてもらえる場を定期的に創っています。

相談を受ける側(例えば事例指導者)に合った進め易いやり方を相談している相手(例えば事例相談者)に行うのではなく、
事例を相談する側にとってしっくりできそうなやり方等を常に考えることが重要です。

一つひとつの面談展開において進んだり戻ったりと段階が発生しますが、
その段階を如何に滑らかにして、切れ目なく丁寧に相手を感じようと継続して意識できているかということだと思うのです。

それは全て目の前で相談をしてくれている人への配慮もあり、またその人自身の成長や幸せを望むからです。

決して相談を受けている側の視点にただ気づかせることが目的ではなく、
相談をしている側がどのように成長することが自分にとってよさそうかイメージできることが大事です。

事例相談者が自己の成長のために今何をすることが良さそうか、
自身が考え自主的に行動化していけることが最優先であり、
必ずしも事例指導者の視点に気づく必要はないことも多いものです。

さて、
ここで実際の事例指導の面談イメージをしながら、
論述試験や面接試験に重ねて一面を少し書いてみます。

先ず、事例指導面接が契約締結後と仮定して、
具体的に面接日時や場所が決まり、その日の事例相談者との出会いがあります。

事例相談者からしても緊張することであり、
また様々なストレスがあるでしょう。

多くの指導者の中から自分を選んでくださったことへの感謝やその意味を把握、
そして事例相談者の事例への想いなどを少しでも理解できるように努力することで、
事例相談者は本当のその姿に安心や安全をより感じていただけるかもしれません。

そして事例指導者は、
事例相談者を歓迎し来談されたことを労う気持ちが極自然体に生まれることでしょう。
ただ形式的に労うのではありません。

相手をわからないまま労いの言葉をかけても、
それは社交辞令のような機能しか果たさないことになってしまい逆効果だったり、
相手からすると上から目線で言われた気持ちになったり、馬鹿にされたように感じたりすることもあります。

初回の面接場面であれば、
事例指導者は改めて自身の活動概要やその実績、
そして学習歴や志等をなるべく簡潔に伝え、
事例相談者へ負担がかからないよう距離を縮めることを心掛けながら、
安心して学べる場であることを事例相談者に感じていただけるように努力することを約束していきます。
※事例相談者は契約前に事例指導者のことを選んでいるわけですからある程度の情報等はご存知かと思いますが、
初めての面接時には意味のある自己紹介が欠かせません。

また、この事例相談者がキャリアコンサルタントとしてどんなプロフィールをもっているのか、
そして今回の事例指導面接ではどんな課題を抱えて来談したのか等を改めて伺いながら、
大まかにこの場で目指す理想の方向性等について共有していくことでしょう。

ここまでのかかわりにおいても面接が随分と展開されているわけですし、
全ての行為は事例相談者の成長に繋がる行動の一部であり一連のプロセスなのです。
お互いにとってひとつも無駄なことがない漸進的な活動です。

何のために事例相談者に来室を労うのか、
何のために自己紹介を行うのか、
単に画一的にやれば良いということではありません。

相手との距離感や間合い、非言語で感じ得る人と人の関係をもって、
自己紹介も変化するだろうし労う内容もまるで異なることでしょう。

型通りにやるだけでは相手に合わないことがあるわけで、
それは相手を感じていないことになり兼ねませんので注意が必要です。

論述でも、例として必須問題の問3などで、
相談者Aに対しての対応を記述すると思いますが、
本来ならキャリアコンサルティングは相談場面設定を行ったり、来談経緯等を含めて相談者に確認していったりと問題解決支援に向けた行為を一つひとつ丁寧に行うと思うのです。

目標設定以降の問題解決の方法だけを切り取って記述してもどうなのかな…と私は感じます。

最初から最後までのキャリアコンサルティングプロセスが大切なのであって、
突然、問題点だけにフォーカスした共有化は難しいと思います。

一つひとつの活動は極めて重要であり、
且つ問題を共有化するための必要なプロセスなのですから、個別の相手に合った具体的なことを考えたいところです。

事例によってどんな行動がその機能として、
プロセスとして成り立つのか、
そして有効なのかを常に考えることが大切であり、
同じ効能を出すには同じことを書けばいい、
やればいいわけではなく、
事例によって全て異なるわけです。

誰に対してでも「今日来談したことを労う」と書いても、よくわからない感じになります。

例として書けば、
上記の通り論述の必須問題の問3で事例の中に登場する相談者Aに対して、
どのようににかかわっていくことが「労う」ということに価するのか、
効果的なのか、事例の情報源から仮説を立て根拠を示していくことができるかと思います。

また、
「相談者Aの悩みを受け止め理解を示す」
というような表現等もそれは当然のことであり非常に漠然とした記述です。

どの発言に対してどうかかわることで相談者Aにとってどんな効果が考えられるのか、それは全て個別です。

「相談者Aの自己理解が足りないことに気づくように働きかけ…」
というような表現もキャリアコンサルティングでは当たり前で、表現が抽象的な感じでわかりません。

相談者Aにとっての自己理解は何なのか、
どんな点を深めていくことで自己理解に価するのかがわかりませんし、
気づくように働きかけるとは、実践的に相談者Aの場合はどう働きかけることが相談者Aにとっての支援に繋がるのかが説明されていなければ、
論述でも面接でも相手に伝わらないのではないでしょうか。

要は問題を共有化していくプロセスが足りないことになります。

自己理解が足りない
職業理解、環境理解が足りない
コミュニケーション能力が不足
認知の歪み、思い込み
タイプA
自尊心が低い
自己の経験への価値付けができない
自己イメージ不足

などなど。

そのようなもっともらしい便利な表現は、
キャリアコンサルタント同士等での共通言語的な表現に留まってしまっているわけで、
その内容自体を丁寧に説明することが人との共有に大事だと思うのです。

論述においても面接においてもそうした丁寧さを重ねていくことが教育関係を構築することに繋がり、
そして問題点の共有化になるのではないかと考えます。

何かひとつでもご参考になれば幸いです。