あれは、30歳になる前のこと。 25年弱前か…。
たまたま、工場側(世界7ヶ国)の責任者だった自分は、
本社のシステム開発部門(米国)に、工場側(ユーザー)の
要望をOfficialに伝えた。 急に伝えたんじゃない、
一年前から企画書として提出している話だ。
サボっていた彼らは、案の定、予算がどうの
こうのという話をしてきた。 各国のスタッフに、
指示を伝えた。 …徹底抗戦だ。
1日中、絶対引けない旨、伝えたところ、
開発部門:システムを作らなくて良いのか?
オレ:使えないシステムを作っても、意味がないジャン?
だべ?(小田原弁)
工場側の話す相手は、25歳の入社した時から、
課長という彼、そう、ハーバード出のエリートだ。
良いから黙ってやれ…とおっしゃる。
翌日も終わりに近づき、昨日から40時間(20時間x2日)
以上、向き合ったまま、平行線。 12万円/1日 x 2日 x 2人 = 48万円を使って、
平行線? ここまでの航空運賃は、約50万円だ。
ところが、意外なことで、決着が着く。
Brian、そんなに意固地になるなって…。 子供みたいだな?
正直な気持ちだった。
(僕の名前を呼んで)、 そうなんだ。 子供の頃から、いつも、ママに言われていたことなんだ。 意地、張っちゃって、ゴメン。
...そこから、私が、自分でまとめてきた企画書の説明を始めた。 15分くらい、説明するとシステムグループも
呼ぶからって…。
夕方からだったから、気が付くと21:00になり、
明日にするかって話して、終わったのが、2:00am。 そのシステムは、1年半後、完成。
2年社内で使って、外販。 1年で、74億円の売り上げ。
数年後、金銭での支給があった。 2,000万円。(当時100円/$くらい?) 臨時支給ボーナスでは、最高額だ。(笑)
思い出すとこんな話がイッパイ。
小さめに言ってます。(笑)