世のために働くという事。
東南アジアの国々には、首都は大きく開けているが、地方に行けば行くほど、
ほとんど、未開の土地が存在する。
 
そんな場所に、1,000人規模の工場を建設する。 周りには、工場すらない。
正確には、200人以上の工場がない。 言い換えると、地元のコウバ(工場)
だけ。 そんな場所に、1,000人規模の工場。 工業地帯には、約20社。
1,000人規模の社員に家族。  それが、5年後に1万人。 10年後に、2万人。
街自体の人口が増えて、スーパーマーケットができて、食堂ができた。
 
会社に行って、時間を売って、給料をもらっているのも悪くもないけど、
世の中のために働いていたことに気が付いたときは泣いた。
 
工場立ち上げの時に、QAの検査をしていたオペレーターの女の子が
赴任を終えて帰国するときに、来てくれた。
足にハンデキャップを抱える彼女は、家族の中で、文字通りハンディキャップ
だったと。 実家は、お米農家。 2期作で、年2回の収穫なのだが、
今回豊作でも、次回は凶作かも知れないので、当然、無駄遣いは出来ない。 
そんな中、毎月、工場で働いて得る収入は、家族にとって大きな収入だ。
 
本人は、これまで、私は食事を食べるだけの家族のハンディキャップだったが、xxさん(俺)がここに工場を建ててくれたから、私は家族の中で生きる望みを持てた。 ありがとうございます!
 
私は、会社で、初めて涙を流した。
 
このような人もいるし、当時1,000人だった従業員も、2万人も超えた。
タイの片田舎に、2万人の労働力を保持したことと街の発展が誇らしい。