高校卒業の時、何をしたしたらいいか、分らなかった自分は、
執行猶予として、大学に進学した。
 
大学では、ただ遊ぶだけじゃなく、何事も経験…の意識があったように思う。
目的意識がどれだけ効果をもたらすか…身にしみて感じた。
 
で、つまるところ、大学卒業時でも、絞ることができず、
外資系のコンピュータの会社に就職する。
この会社が、とても大きかった。
最初のLogistics部門で、会社員としての身の振り方を学んだように思う。
そのあと、会社の製造部門から輸出入がわかる若者(25歳)の要望があり、
異動した。 会社の要望に合わせて異動することがどれだけ効果を齎すのか、
実感した。 で、海外に赴任し、海外での大量生産方式を学んだ。
同時に、日本人と違う文化を持つ人たちとの交流を学んだ。
異文化に、すぐに溶け込めるのは、この影響が大きい。
とても、貴重な経験だった。
 
この経験は、自動車メーカー・電機メーカーに行ってもいきてくる。
ここまでは、製造業としての生き残りをかけて、海外での安い賃金を求めて、
海外に活路を見出した例だ。
 
そんな生活を20年もしていると、日本での生産に拘った会社に、
興味を持った。 それが今の会社。 私も、既に3回の退職を経験したわけだが、
何をやりたいのか、求めているのか?を掴めている。
半導体などの製作装置の消耗品の一部である。
これは、まさに職人さんの製品を世に送り出す会社である。
 
この職人芸を海外に移管するのは、難しいようだ。
(…やろうとはしてるけど。)
海外に、職人さんを育てることにチャレンジしたい。
付加価値の高い商品を日本で作成し続けることにチャレンジしたい。
この相反することを定年までに、追求したい。
 
これが、65歳までに追求しなければいけない事…です。