ヨーロッパでは、装飾品というカテゴリーがあり、
人の判断基準になっている。
 
ヨーロッパは長いこと貴族制度があり、身分制度が存在した。
成り上がり者を好ましく思わずに、時代を推移してきた。
アメリカでは、差別がどうのこうの言うが、ヨーロッパでは、
ほとんど聞かない。 貴族制度という階級制度が法で定められていた経緯が
あるからだ。 法律が身分制度を規定し、それを正当化してきた歴史が
あるからだ…。 差別というよりも、はっきり区別してきた歴史がある。
 
日本では、貴族制度と似た制度で、士農工商の制度があった。
貴族という階級は、日本には存在せずに、故に装飾品という考えも
ほとんど、定着していない。 
 
ネックレス・指輪・時計などが装飾品に当たるのだが、
日本の家庭で、代々、引き継がれる日本刀などはあるが、
時計などの装飾品は皆無。 時計などはあまり聞かない。
 
ところが、海外では、良い時計をするのが当たり前になっている。
時計にそんな多額のお金をつぎ込みたくないといった輩がいたが、
装飾品という概念がないのだから、致し方ないことだ。
祖父母や両親から、引き継いだモノはないのか…。
それは、それで寂しい・悲しいことですよね…?
 
一流品でなくても、祖父母や両親から引き継ぐべきものがないのは、
寂しい。 引き継ぐのは、借金だけなんて、笑えない。
一流の品をわからない奴が、一流の仕事はできないとアメリカの上司も
言っていたが、装飾品そのものが本質にはなれないが、装飾品という時計が、
人間を形成するんだそうだ。
 
昔、親父に連れていってもらった寿司屋の親方が、ROLEXを愛用。
一流の時計を身に着けないで、一流の寿司屋になれないって話を
していた時に、当時は、違和感を感じたが、ダメな寿司屋を見ると、
あの親方の言っていたことが少しだけ分かる気がする。