学卒。
何の取柄も持たない自分。
大学で勉強してよかったと思う。
高校卒業時に何をやっていくか分からなかった自分は、
執行猶予として大学に行った。
そして、4年後、これも確信を持っていたわけではないが、
外資の会社で、人生において、何をやっていくかボンヤリと見え、
いまは、明確に定年後まで見えている。

ただ何となく、出来そうな仕事について、人生を送っていたら、
借金を返済するだけの人生になっていたと思う。
頑張ることも大事だが、ゴールが具体的に見えずに生活するのって
どうよ。 全く意味のない人生だと断言する。

初めての出張が、英国。 ポーツマスの近くの都市の工場に出張した。
格式のあるホテルに泊まった。 英国からしたら、ランクは下だと思うが、
駅前の低料金のホテルとは明確な線を引かれたものだった。
当然、このホテルに来るのは、流暢な英語を話すビジネスマンだけ。
例外の若者にも、最高のもてなしを見せてくれた。
日本のおもてなしとは異なる最高格式のおもてなしだった。
これを25歳になったばかりの若者が経験するには、カルチャーショックも
大きかった。

バブルの終焉時期に差し掛かった89年入社だったが、
就職初年度から、500万円弱の年収をもらい、30歳までに
1,000万円と思った年収は、28歳で達成した。
そんな職場環境から、育てられた。

何の取柄も持たなかった自分が、海外を経験する事により、
いろいろなことを学んだ結果、いろいろな会社が高給で
優遇してくれることになった。 最初の会社でなかったら、
平凡な会社人生になったと思う。
すべてうまく回るようにできていたんだ。 とても幸運に恵まれた
良い巡り合わせでこれまでの人生を送ってこれたし、これからも
変わらないだろう。 

人の最初のつまずきは、勉強が出来ないことじゃないかと思う。
私は、両親の準備のお陰で小学校では、過不足なくできた。
この準備のおかげで、最初の壁を楽に飛び越えることができた。
小学校の勉強なんて、授業を聞いていれば、誰でもできるのである。
それを親の教育が不適切だと授業を聞いていられる集中力がない子供は、
最初の壁で、脱落するのである。 両親に感謝である。

他の人が考えないことも、今、考えている。
これは、事故がなければ、振り返らない事だったと思う。
神様が、ちょっと待てと振り返ることを促したのだ…。