昔のバイクって乗り手に挑戦的だと思わない?

今日(12日)は、明後日から梅雨入りのようなので、
午後半休にして、きっちり300km走って来ちゃった。

もちろん、半休は、当日思いついたわけじゃなくて、
先週から決めてたんですけどね…。
今日乗らないと、梅雨 + 出張で一ヶ月くらい
乗れなくなりそうなので、どうしても必要だった…
なんて言い訳しなくても休暇なんだから良いじゃんね。

タイヤの端を使いたかったので、峠から峠に抜ける道を
選んだのだが、風が爽快で気持ち良かった。
街中は、暑かったもんね。
このルートを選んだのは大正解。

やっぱり、タイトな椿ラインのような道は
あんまり得意じゃないみたいね。
曲がる時に曲げる意思が、かなり必要なのね。
コーナーの先を見ていればバイクが勝手に旋回していく
なんてことはない。

ターンパイクや伊豆スカみたいな道は
けっこう楽しめるんだよね。
それにしても、曲げる意思は必要。

最近のバイクは、いつ乗っても、
かなり乗れてる自分が存在する。

ちょっと前には、乗せられてしまうバイクが存在した。
あまり実感もないのに、凄いスピードで
ラップしてしまうようなバイク。

ところが、最近のバイクは、かなり自分の意思で曲がって、
かつ、とんでもないスピードを(比較的)安全に走らせてしまう。
自分の意思で曲がっていく感覚は、バイクの演出かもな?

乗れるものなら乗ってみな?みたいな尖がったバイクないよね?

友人の話ですが、友人のRZ350って、調子が良い時は
”かなりイケテル 馬鹿ッ速”のあいつだったのだが、
どうも調子悪い時は、リズムやバランスが取れないでいた。
あいつの波だったのか、RZ350の波だったのか…。

バイクって、90年代には、乗り手の意思に拘らず、
いつの間にかハイスピードで走るようになっていた。
2000年代になって、そこに乗り手を興奮させるような
走りをしながら、乗り手の想像もつかないところで
ハイテクが乗り手を手助けできるようになってきた
ような気がする。

だから、先日試乗したGSX-R1000なんて
楽しめるバイクだと感じたんだと思う。
(楽しまされてた気もしてきた?)

見てろ。峠でも、絶対曲げてやる。