本ブログでは、ランニング(マラソン)が人生に極めて類似しており、スタートこそ仲間と一緒にスタート出来てもその途上(コース)ではぐれたり、そして最後は1人でゴール、もし人生なら1人でこの世を去らざるを得ませんから、普段からランニングにて孤独に強くなれば人生後年、辛い思いをしなくても済むのでは?と思っています。
そう書きながら”ふ”と想い出したのが2018年に走ったニューヨークマラソンの際、僕の前を若い女性に挟まれながら1人のスラッとした中高年男性が走っており、時折聞こえた会話がフランス語だったので、フランスからニューヨーク・マラソンの為にやって来たのでしょうが、なんとその男性が30km地点で突如転倒、僕もあ!!っと思ったのですが、その後を振り返えりながら様子を見ると、彼は完全に大の字になっていて一緒に走っていた若い女性陣も走るのを止め”あたふた”介護を始めていたので、果たして彼女・彼らが完走したかどうかは分かりませんが、もしこの男性が途中棄権したならきっと女性陣もリタイヤしていたたはずで、世の中にはこんな幸せな男性もいたことを想い出しました(^0^;)
本ブログの如く、結局1人で走らざるを得なかった港区ハーフマラソンですが、昨年応援に来てくれた知人・友人も誘わなかったので僕のランニング風景写真も得られず、しかもランナーたちを次々と撮影して有料配信してくれるサイトで僕自身を探しても、なんと一枚も映っておらず、結局このブログ記事の掲載写真も得られず大変ショックを受け、やはり孤独には大きなデメリットがあると痛感しています(>_<)(>_<)