以前このテーマで触れたのはたまには何かスピリチュアルな事でもと、たまたま思い付いたのが誰もが知る”天国と地獄”についてでしたが、それは何もあの世に行ってからの話とは限らず、この世(現世)にもそれらは存在するし、もしくはこの世と密接に繋がっている?といった内容でした。
今回は前回ブログ最後で予告したように、この世での天国的、その反対の地獄的な生き方について更に話を進めますが、その前に皆さんもちょくちょく耳にする語り草に、”人生は一度きりだから思う存分楽しいことや、やりたいことをやるべき”というのがありますが、果たしてこれは真実でしょうか??
この語り草を別角度から捉えると、”どうせ死んだら終わり、無になるだけだから生きている間にやりたい放題すべき”といった、”死は人生の終焉”といった固定概念による発想とも言え、それが真実なのか検証する必要があります。。
確かに肉体=生(もしくは魂)であれば、死(肉体機能停止)=生(もしくは魂)停止、つまり死=無となるので、この発想から”人生は一度きり”と考えがちですが、僕がかつて救急医療に携わっていた頃の少なからず数の死を看取った経験からは、必ずしもこの発想は正しくないと直感したのです。
つまり肉体と心(魂)は別物で、わかりやすく例えると肉体を乗り物(車)に例えると、その乗り物を操るドライバー(運転手)が魂で、車がポンコツになって動かなくなれば、運転手はその車を乗り捨て新しい車を買い換えるように、肉体(車)が滅びても心(運転手)はピンピンしている可能性もあります(^0^;)
その証拠に肉体が老化してもそれと同じようには心は老化せず、例えば一昨年の僕の大怪我(アキレス腱断裂)などは肉体が老化しているにも関わらず、若い頃と変わぬままの心(魂)が若者たちとのサッカー中、ついつい負けん気を発揮して体に無理強いしたため発生した訳で、こういった事例は老化する肉体とそうではない心の乖離から生じたのです。。
随分話が逸れましたが、要はもし死が人生の終わりでなければ、少なくとも僕はそう確信していますが^0^;)、この世に存在する時から、あちらで天国に受け入れられる生き方をしていたほうが良さそうなことに気付くはずです。
前回の繰り返しになりますが、では天国的生き方とは何かと言うとそれは心がハッピーになる生き方らしく、ではどういう歳に心がハッピーになるかですが、それは多くの人たちが既に気付いているでしょうが、他人から”ありがとう!”と感謝される時こそ、心はこの上ない喜びを感じるようです(^_^)
ということは逆も然りで、他人から恨まれることをすれば心(魂)はその質を下げ、地獄への扉を叩くこととなり、特に注意すべきは上述の如く、”どうせ人生は一度きりだから好き勝手にしてよい”という短絡的発想だと、他人の迷惑を顧みず自己中心的な生き方に終始し、気付いた頃には地獄へ真っ逆さまへ落ちていたという最悪の事態を招きかねません(゜◇゜)ガーン
ある賢者から現世を生きる人の約半分が天国的な、残り半分が地獄的な生き方をしていると聞き捨てならない話を聞いたことがありますが(O_O)、どうかこのブログを読んでいる賢い皆さんには是非天国行きの切符を手にして頂きたいと思います(^_^)