今回は僕がライフ・ワークの一つとする”スポーツ”について改めて論じたいと思いますが、そもそもスポーツは健康のために行うものと一般的には信じられていて、僕自身がそのイメージを決定的に持つようになったのは、小学校時代に学級・学年の中から選出された”健康優良児”の存在を意識したときです(^_^;

 

そもそも”健康優良児”とは体格(身長・体重)が平均以上、運動・学習能力ともに優れた児童(小学六年生)の男女一名を朝日新聞・文部省・教育委員会が合同で選出し、この子供に運動能力テストを課した後、医師による健康診断で最終選出する制度でした。

 

どうやらこの”健康優良児”制度は1930年(昭和5年)、つまり戦前・中の厳しい世の中での強い兵隊育成や、戦後の食料事情改善や健康体の獲得指標として、毎年文化の日(11月3日)の恒例行事だったとのこと。。

 

ところがこの”健康優良児”性ですが、この言葉を最近耳にしないと思っていたら、後に不必要な優越感・劣等感を生むとの批判により1996年までに完全廃止されたようで、実は僕も自分が”健康優良児”になれなかったことに当時強い劣等感を抱き、この制度が実施された頃小学生だった皆さんも、多かれ少なかれ同じ思いをしたのではないでしょうか?!

 

”健康優良児”について語るうちに、ついつい前置きが長くなりましたが、この背景(”健康優良児”制度)から察するに、我々”オジサン世代”に根付いた健康イメージは、戦争中の”強い肉体・精神にこそ価値がある!”というもので、これは政治的プロパガンダ、もしくは洗脳教育に近いものだった気がします(O_O)

 

なので子供の頃純情だった僕は、”運動(身体)能力に長けている=より優秀な人間”と考え、つまり運動(スポーツ)は頑張れば頑張るほどカラダに良く健康になれると疑わず、それを邁進・盲信して今日に至りますが、実は最近、”運動すればするほど体に良いって本当なの??”と、ようやく過去の呪縛(洗脳)から解かれたような気がしたので、今回はこの話をすることにしたのです^_^;

 

すっかり50代という中高年齢層ど真ん中に漬かった僕は、残念ながら若い頃と違ってスポーツ能力低下は勿論のこと疲労回復も遅延するようになり、運動をすればするほど疲労蓄積し、不健康に陥るといった本末転倒の経験をするようになったのです(゜◇゜)ガーン

 

実際、世の中を見廻しても、例えばプロ・スポーツ界で一線級の活躍をした選手たちですら、引退後は一気に太ったり老け込んでしまうことが多く、それは現役時代、過度なトレーニングとストレスに苛まれたこと、そして引退後の食事コントロールはまで出来なかったからでしょうが、いずれにせよ、たとえプロ・スポーツをしていても引退後まで健康でいられる訳ではなさそうで(>_<)

 

さて話を私事に戻しますが、実は僕が40代後半の頃、開業以来の多忙とストレスにより不規則な生活・食習慣が継続し、それがあだとなり太り始め、”あ~これはまずい、、スポーツしなきゃ”と思い立ち、通ってはすぐに”三日坊主”で行かなくなるジム通いを再開し、ダイエットによさそうな水泳を始めたにも関わらず、結果はなんと逆に体重増、かえって太ってしまったのです(゜◇゜)ガーン

 

こういった経験から、それまで持ち続けていた”スポーツ信仰”に疑問を持ち始めてはいたのですが、その後更なるスポーツによる苦い経験を通して、もはやスポーツは健康増進の一部に過ぎず、もしくは健康維持は負荷の少ない適度なスポーツが体を追い込むような”キツ”いスポーツより遙かに効果的と考えを改めたので、近いうちにその理由を更に詳しく述べたいと思います(^_^;