皆さん”過ぎたるは及ばざるがごとし”との諺をご存知でしょうか?(^_^;


その意味は、”良いと言われることもやり過ぎは害になるから何事もほどほどが肝心で、ゆき過ぎは不足しているのと同じように良くない”との意味ですが、この諺はその昔、中国で孔子が”論語”の中で語ったものです。


この言葉は僕にとって大変意味のある諺で、きっと皆さんも長い人生の中でこの諺の意味を知る機会があるかもしれないので、興味のある方はこのブログをご覧ください(^0^)


これまで本ブログで僕が幾度も語ってきたように、我々の心(魂)と身体は時間の流れと共に必ずしも比例して成長・老化するのではなく、もっと分かりやすく言うと、心(魂)は身体のように老化しないということです。


美容医療がビジネスとして成立するのも、まさに心(魂)と身体が加齢と共に解離し始めるからで、人生に前向きなで元気な人たちは、いつまでも輝き続ける心(魂)にマッチし(見合った)た身体を維持しようと努力するからです(^_^)


なので我々は学生時代の同窓(クラス)会にでも参加すると、何歳になってもまるで当時にタイムスリップ、童心に返ったように振る舞うのも心(魂)が老化しない、もしくは老化しにくい紛れもない証拠となります。


話は随分逸れたので、ここで本題に戻しますが、我々は年齢を重ねるにつれ若い頃やっていたこと、昔から得意なことに固執しがちですが、それは身体が限界年齢に達すると新たなことにチャレンジしにくくなるからでしょう(^_^;


そんなわけで僕も、この歳になって今でも精力的に行うのは昔から得意なスポーツですが、当然スポーツ適正年齢は20~30代、40代でも行えますがパフォーマンスはグンと落ち、50代ともなるとスポーツ事態を諦める人たちも少なくありません(>_<)


でも僕の場合スポーツ以外に得意なことは殆どなく、いまだにスポーツにしがみついていますが、特に数年前から始めたランニングは、持久力は意外にも50代になってもあまり落ちなく若者達とも張り合えるので頑張っていますが、なんとそこに落とし穴があったのです。。


というのも”スポーツは体に良い!”というのが我々に染みついた一般常識で、それは医療スペシャリストである僕も信じて疑っていませんでしたから、当然僕は時間とともにランニング・トレーニングの負荷を次第に上げいったのです。。


特にランニングは誰でも参加可能なマラソン大会があるので目標設定しやすく、僕もランニング開始からしばらく経過してある程度走れるようになった途端、下写真のように旅行もかねながら”シドニー・マラソン”等に参加したりと、新たな人生の楽しみを見出したと思ったのです(^0^)


そして完走の達成感に満たされながら帰りがけに、次々とランナーが到着するシドニー・オペラハウス前に設置されたマラソン・ゴールを垣間見ると、なんと2名のランナーが倒れ込んでいて救命救急隊が心肺蘇生処置を行っているではありませんか(O_O)」


(そのうち一名は完全心肺停止しており、僕の見立てでは救命は困難だったと思われます。。)


その状況を見た僕には”もしかすると次は僕が犠牲者となるかもしれない。。”との恐怖が一瞬よぎりましたが、今振り返るとこのマラソン事故は僕のランニング・トレーニングへの危険の知らせ(サイン)だったので、次の機会で”スポーツが過ぎたるは及ばざるがごとし”となる現実をお知らせしようと思います。