皆さんは”論文”と聞くと、どのような印象を持たれるでしょうか?
”論文”とは学問の研究成果等を論理的な手法で記載した文章のことを言い、”論文”というキーワードが巷で話題となったのは数年前、小保方さんが発表したSTAP細胞論文で、彼女は”リケジョ(理系専攻の女性)”として一世風靡したにもかかわらず、その論文に不備が見つかり撤回となった結果、彼女の名声は台無しになってしまったのです。。(>_<)ゞ
ただ”STAP細胞は本当にあったのでは?”とか、”小保方さんが失墜したのは再生医療界の利権絡みの陰謀では?”との噂もあり、STAP論文は未だに物議を交わしているようです。。
さて僕も大学院生時代は基礎研究者の端くれとして、北海道大学医学部大学院から、たまたまポストの空きがあった米国ニューヨーク・ロックフェラー大学・ウイルス学教室の一研究員のポジションを得て、3年間ほど留学させて頂きました。
米国留学前の僕は研究の”イロハ”を全く知らず、研究員と言うよりもむしろ、ラボ・テクニシャン(研究者のボスに指示され動く技術者)として、研究をかじったことのある中国出身のアルバイト主婦技術者と同等の扱いで、とても医師免許取得した大学院生とは思えない低レベルだったのです(>_<)
当時僕が行っていた研究は、AIDS類似ウイルス遺伝子上の何処に病原性があるかを調べる研究で、それはまあ時間と体力がいる仕事で、最終的に病原性の可能性がある遺伝子領域の一部をつきとめたに留まり、それでタイムオーバー、帰国の途に着きました。。
この程度の研究成果では、一流科学雑誌へ論文投稿するレベルに至らず、結局、僕のような低レベルの研究成果でも博士号取得が可能な日本語論文を北大大学院に受理して頂いて、ようやっとの思いで博士号取得しました(×_×)
その様子を見ていた大学院の担当教授は僕に「うーん、君は基礎研究者には向かないから、臨床医学を目指すべきですね~。。」と苦笑いをしながら伝え、僕はすかさず「はい、そうします。。」と返答、そして現在のような臨床医の道に進んだのです。
そもそも医学部卒業後に基礎研究を目指して大学院進学する医師たちは、医学部でも超優秀(トップレベル)で、そもそも僕のように頭脳も月並み、しかもさほど研究に興味もなかった人間が基礎研究の門を叩いたこと自体が誤りだったのでしょう(v_v)
ところが当時の大学院担当教授がとても寛容で、”僕がどうしても米国留学したい!”と情熱的だったのを見計らって、僕みたいな劣等学生にもまたとない留学チャンスを与えてくれたのです(^○^)
当時僕と同期の大学院生たちは大変優秀で、その殆どが現在、どこかしかの医学部教授の地位を得ていますから、彼女・彼らがいかに優秀かがうかがい知れますが、実は僕が在籍したロックフェラー大学はさらにその上で、世界で最も優秀な研究者たちがいることで有名です(O_O)
と言うのもこの大学からは過去になんと23名ものノーベル生理・医学賞を受賞した研究者がおり、学長になるにはノーベル賞受賞がその必須条件との縛りがあるから驚きです。。
例えば当時僕がロックフェラー大学内の長い廊下を歩いてると、初老の白人紳士が正面から歩いてきましたが、それを見た友人が「あの方が人類で初めて遺伝子(DNA)を発見したワトソン博士だよ」と言い、さすがの僕もDNA発見でノーベル賞受賞したワトソン博士のことは留学以前から知っていたので、感動で胸が震えました。
話しは論文作成から随分と逸れましたが、現在僕が取り組んでいる論文がようやく形になってきたので、論文作成の苦労、その意義について次の機会で触れたいと思います(^0^;)