このブログのモットーは、出来るだけ明るい話題にすること、他人の非難は決してしないことですが、今回の”川崎市通り魔事件”は今月新しい”令和時代”が幕開けたばかりに起きた前代未聞の凄惨事件として、例外的に取り上げることにしました。。

 

この事件は世界中で報道されているらしく、海外の友人たちから「日本でとんでもない事件が起きてるみたいだけれど大丈夫?」と心配する連絡がいくつか舞い込んできています。。

 

勿論、このような通り魔事件は残念ながら過去に幾度か発生していますが、最近日本が”世界で最も住みやすい国”としてスイスに続き2位にランクインしたばかりなのに、幾人もの幼い小学生たちを斬りつけ、数人の死者まで出たこの事件の衝撃はあまりに大きすぎます。。

 

数日前に発生したこの事件の概要はいまだよく分かりませんが、ニュース報道では引きこもりがちだった50代男性が、不遇な人生をこの社会のせいと勝手に決めつけて恨み、幸せそうな人(小学生)たちを殺傷の巻き添えにしてから自殺するという、”悪魔の仕業”としか言いようようのない凶行だったようです。

 

当然、本事件の全責任はこの加害者にありますが、僕が驚いたのはこの事件とともに報道された一般人たちのコメントが、”他人を巻き添えにしないで、死ぬんだったら1人で勝手に死んで欲しい。。”というものが多数を占めていたことです。

 

一見、この意見はまっとうに思えますが、もう少し思慮深くこの意見を吟味すると、”他人を巻き添えにしなければ1人で死ぬのはご自由に”とも受け取れ、一般人の潜在心理に他人の自殺を容認する”冷淡さ”が見受けられます。。

 

こういった意見が出るのは我々日本人に極端な”無関心・虚無(ニヒリズム)主義”が蔓延していることに他ならず、この”無関心主義”こそが今回のような凄惨な事件の背景になっているのでは?と感じずにいられません。

 

この犯人はもしかすると社会に助けを求める”SOSサイン”を、犯行に及ぶずっと以前から出していたかもしれず、それを周囲の誰もが察知せず、無視・放置したがためにこの犯人の社会への”恨み・怒り”が極限に達し、その結果今回の凶行に及んだ可能性があるからです。

 

日本は”最も安全な国・住みやすい国”として世界中で認知されているにも関わらず、このような絶対に起きてはならない事件が発生し、僕は海外の知人たちからこの事件を通して日本を按じる問い合わせに答えながら、これは日本人として恥ずべき・由々しき事態であり、我々日本人1人1人にもある程度、この事件を招いた責任があると感じました。。

 

ですから、この事件を単に気の触れた犯人単独の凶行と片付けるべきではなく、我々1人1人がこの社会がより良くなるよう、もっと他人や周囲へ関心を持ち、困っている人がいたら手を差し伸べるような”思いやり”を持つことこそが”令和時代”に最も必要ではないでしょうか?