前回僕がハンティング(狩猟)に出かけた話をブログで触れ、その際、神聖なものを感じたので次回ブログで記載すると宣言したまますっかり忘れていました(>_<)

 

問題なのは記述を忘れたのみならず、時が経つとそのとき感じたことまで忘れてしまうことで、僕があのとき感じたはずの神聖なフィーリングが何だったのか、全く思い起こせません(>_<)

 

なのでそのとき感じたことは即文章化すべきで、そうすると文章を読み返すことで記憶が蘇り忘れずにいられるので、文字こそ人間に与えられた宝物だと僕は思っています(^o^)

 

多分僕があのとき僕が感じたのは、我々の祖先たちは何を狩猟道具に用いたかは別として、有史以来、我々は動物を犠牲(食料)としてきたからこそ今日まで生き延びてこれたこと、そしてそのことへの感謝だったはずです。

 

というのも我々の多くが現在も肉食であり、その証拠に若い連中に「何が食べたい??」と唐突に尋ねてみると、男女を問わず決まって返ってくる即答が「焼き肉!!」です。

 

またあるとき、僕はインドネシアにある小村のマーケット(市場)に出向き、そこで売られる野菜、魚、肉を何気なく眺めていましたが、そのとき”はっ”と気づいたのが、ハエたちが無数に集っるのは決まって生魚・生肉で、野菜には殆ど集っていなかったことです(・o・)

 

つまり若者たちのみならず、”ハエ”たちも含めて生きているものは皆タンパク質が大好きというか、タンパク質なしでは生きられず、動物に多く含まれたタンパク質こそ生命維持に必要不可欠なため、ここぞとばかりに”ハエ”たちは市場に並んだ動物の肉に群がり、我々は焼き肉をとっても美味しいと感じるのです。

 

ただ現代人たちにとって、肉はスーパーマーケットで簡単に変える食材だし、レストランに行けばお肉料理はお皿の上に乗って出てくるので、その美味しい料理に動物たちがその尊い生命を犠牲にしている事実を知る由もないため、生き物への感謝も実感せず、当たり前のようにお肉を食べているのではないでしょうか?!

 

逆に僕はこうやって奥多摩まで出かけて、”野蛮な行為”を体験したからこそ動物への感謝の念が湧き、今回の体験は大変貴重だと感じましたが、僕に「狩猟に出かけて動物を殺すなんて野蛮だ!」と言った知人ですが、彼は日頃から肉を食べながら、狩猟経験もないのに動物への感謝は感じているか、はなはだ疑問です。。

 

話は変わりますが、下動画は僕が4年前、米国ハワイで開催された美容外科学会に参加したとき、友人ドクターと一緒に射撃場で10メートル離れた標的に向かってピストル射撃した様子です(^^)

 

狙いを定めて正確に撃ったつもりですが、たった10メートルしか離れていないのに僕の弾丸は一発も標的を捕えられずガッカリしましたが(・o・)、動物を撃つより射撃場で紙の標的に撃つ方が気楽で良いと急に思い出しので、載せてみました(^_^;