前々回のブログで80代になってもバレーダンスをやりながら活発に生きているお客様について触れましたが、与えられた命を出来るだけ有効にする生き方が正しいとつくづく思うようになりました。

 

僕の好きな言葉にマハトマガンジーの”明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。”がありますが、まさにこの言葉にこそ我々が生きるべき姿の真髄が語られていると思います(^-^)

 
今週頭北海道出身の若手登山家、栗城史多氏がエベレスト登頂を目指している途中、悪天候・体調不良に襲われ不慮の死を遂げました。。
 
彼はまだ35歳と若かったこと、現代の若者らしく自分の登山をインターネットで生配信しながら僕のような一般人たちの共感を得るような新しい試みをしていたので、登山という地味で過酷なスポーツにもかかわらず、多くの人たちが彼の頑張る姿に魅了され応援したのでしょう。
 
それだけにこの登山家の不慮の死はトップニュースになるほど社会的反響が大きく、皆を驚かせ、悲しませました。。(v_v)
 
僕もスポーツの一環として登山は嫌いではなく、実は今年初旬インドネシアを訪れた際にひょんなことから、この国で2番目に高いリンジャニ山(3,726m)登山を行いました(^^)
 
富士山が3,776mなので、”まあなんとかなるだろう”と高を括って登り始めましたが、富士山の場合標高2,500m(五合目)から登山開始となりますが、リンジャニ山はなんと標高1,000mから麓スタートだったので、富士山より遥かにきつく、下写真の如くなんとか登頂しましたが下山途中には登頂の疲労が溜まり、何度も転びながらやっとの思いで帰ってきました(>_<)
 
標高3,000mの酸素濃度は地上の70%程度、この高度あたりから体に応え始め、10歩歩いただけで呼吸がゼイゼイ言い出し、山頂付近(4,000m)で酸素濃度は60%なので、僕の場合軽い高山病症状(頭痛・吐き気)が出始めました(・o・)
 
今回栗城氏がチャレンジしていたエベレストで標高8,000mまで上がると、酸素濃度はなんと地上の1/3程度(30%)になり、それがどれだけ過酷かは標高3,000m以上の山を登山した人であれば分かるはずです。
 
栗城氏の場合、無酸素登頂のみならず、まだ気温の低い春のこの時期に一切サポートなしの単独登頂という、これ以上ない厳しい条件を自らに課しての登山だったので、彼の登山スタイルと死は常に隣あわせだったのでしょう。。
 
それにしても栗城氏は何故そんな危険だらけの登山に情熱を燃やし続けたかは、本人でなければその真意は分かりません。。
 
それは冒頭に述べたバレーダンスに打ち込む84歳の女性や、マハトマガンジーが言ったように、明日死ぬかのように精一杯生きようとしていたからなのでしょうか??
 
今回非業の死を遂げた僕と同郷の登山家・栗城氏の冥福を心からお祈りし、彼のように一生懸命生きようとした人を見習せて頂きたいと思います。