僕が幼少期の昭和40年代、日本は高度経済成長の真っ盛りでしたが、それは僕の父のように戦前・昭和一桁生まれ人たちが戦後の日本繁栄のために骨身を削って働いたお陰なので、我々はこういった先人達の努力に感謝すべきでしょう。
僕が子供の頃今は亡き父に強烈な印象を持ったのは、とにかく節約・節約を僕の家族に強いてたことで、例えば自宅廊下に無駄な電気が点灯していたら、「無駄な電気は使わないように!」とすぐに消すように戒められたのもです(>_<)
僕の幼少時代、生活に関わる全てがこの調子でしたが、父は入浴の際、湯船に浸すお湯を節約するため湯船の底からほんの20cm位までしかお湯を満たさず、そこに体を小さく丸めて最大限お湯に浸かろうとする努力を見て唖然としたことがあります(O_O)
そういった父の節約志向は、当時の日本が太平洋戦争に参戦・敗戦し極貧の時代をくぐり抜けたため、”節約こそが何より肝心”と体の奥に染みついてしまったからでしょう。。
そしてこの父に育てられた僕は、”三つ子の魂百まで”という諺があるように、なんと僕にまでしっかりとその節約志向が身についてしまったのです(゜◇゜)ガーン
なのでつい最近もクリニックで使用していない部屋の電気が付いていると、僕は内心”あ〜、もったいない。。”と思いながら、ついつい電気を消灯する癖が抜けないでいます(^_^;)
僕の世代、もしくはそれ以前の世代の人々は、多かれ少なかれこういった節約志向が身についてるはずで、多分付けっぱなしの電気があれば僕と同様、すぐにそれを消そうとするはずです(^_^;)
ところがその後時代は大きく変遷し、特にバブル経済以降、我が国は物質的に大変恵まれた国へと豹変しました。
そしてある信頼のおける経済学者から、”現在のように物質に豊かな状態ではその繁栄を維持するのに節約志向が仇となる”という衝撃的な話しを聞きました(・o・)
その経済学者曰く、”国が戦争・大災害などの危機に陥っている際は節約せざるを得ないが、現在のように繁栄している場合は節約などせず、むしろモノを消費をしないと国力がどんどん弱くなる”とのことでした。
たしかに現在の経済は良いか悪いかは別として、いかにモノを多く消費するかで繁栄するかしないかか決定するので、”節約志向は経済成長の仇となる”というこの経済学者のコメントは真実だと思われます。
かつて十仁病院に勤務していた頃、十仁病院の故梅澤院長は全ての新聞を朝晩病院に届けさせていたし、病院内のありとあらゆるテレビを24時間つけっぱなしにしておけと職員に命じていました(・o・)
節約志向の僕が無意識のうちに院長室のテレビを消したりすると「誰だテレビを消したのは!?ずーっとつけておけと言ったじゃないか!!」とどやされたものです(>_<)
そう考えると故梅澤院長は昭和一桁生まれにも関わらず、節約志向から消費志向に賢く頭を切り換えていたのかもしれません。
消費志向=無駄使い・浪費(悪・非常識)、節約志向=倹約・節制(良・常識)という、故梅澤院長のような類い希な方以外、誰しもがこの固定観念に囚われていますが、実はこの固定観念こそ我々の経済繁栄を停滞させる最大原因かもしれません。。
勿論、電気・水道・ガス代の無駄使いは自分持ち、つまり自腹を切ることになりますが、我々1人1人が節約志向の固定観念から少しでも解き放たれ、1人1人が故梅澤院長とまでとは言いませんが、少しでも経済的に寛容に振る舞えば、日本の景気はグーンと回復するのではないでしょうか??