母は晩年車椅子の生活だったので、妻が未だ比較的元気な時には外へ買い物に連れてったが、90歳に近くなるころには、昼間介護施設に出かけるルーティーン以外の外出は嫌がった。

若い頃、新川にいたので日本橋のデパートへ行くのが愉しみだったらしく、動けなくなってからは三越のカタログで買い物をするのが愉しみで、毎月相当な金額を購入していた。

洋服も着る機会が無かったのに、毎月何かを注文していたが、それは着る愉しみではなく買う愉しみで、送られてきた商品を眺めたり触ったりして愉しむためだった。

それが遺伝して、僕も書籍やCDやルアーを、読み切れない聴き切れない使いきれない程購入して、眺めて触って愉しんでいるから良く分かる。

 

横浜の会社に勤めていた頃は、毎日書店と古書店に行き、何かしらを買っていた。

定年になると、街へ出かける機会が減ったので、通販で本とCDを買うようになった。

本は定年時に1万冊あり家に溢れていたが、その後CDが溢れかえった。

この春からルアーフィッシングを再開したので、ロッドとリールが幾つか揃うと、ルアーを買うのが日課になった。

最初の頃は昔の感覚でミノーを買っていたが、今の釣りのスタイルに合わないので、随分買ったが殆ど使う機会が無く、それがシンキングペンシルに替わった。

夏になると青物が回遊してきたのでジグを買うようになったが、実際にはサーフトローリングをやったので、ワームを消費した。

海へ生贄のジグのロストは数個に過ぎず、いつの間にか200本になっていた。

母が死んだときに服が数百着あって驚いたが、僕のルアーもそれに劣らない数がある。

まあこれは、次の愉しみが出てくるまで終わらないんだろうな。

 

そんな事を思いながら、今日届いたブレードジグを撫でているが、更に昔のことを振り返ると、初めて集め出したモノは切手だった。

子供のころにもらった小遣いを全て注込んだので、今でも60年前の切手が随分ある。

次に凝ったのがシャボテンだった、でもこれは一鉢も残っていない。

始末する必要もないから、中々いいコレクションだったのかもしれない。

 

 

晩飯はカマスの刺身だったが、随分大きいカマスで脂が乗っていた。

妻は煮物が得意だが、夏野菜が無くなり、さつま揚げと厚揚げとちくわ麩と里芋を煮た。

それに胡瓜と人参の糠漬けがあり、買って来た赤飯を食べた。

シンプルで中々いい食事だった。

 

赤飯は何時の頃からか好物になり、見かけると買うようになったが、赤飯も餅もハレの日の食い物で、日本人のご馳走だ。

40代の頃に戦記物を随分読んだが、ラバウルあたりにいた海軍のパイロットが、正月に餅を食べるのを物凄く楽しみにしていた。

南方の激戦地に居て明日の命も知れない中で、故郷で正月に喰った餅が忘れられないんだなあと思い、深く心に染み入った。

その頃からかなあ餅や赤飯が好きになったのは。

子供の頃、暮れになると朝早くから、父と母で竈を庭に作って糯米を蒸し餅を搗いていた。

小さい頃から当たり前にやっていたことが、年を取っても心に残る。