アンは、自分の名前が

Ann

ではなく、

Anne

であると、強く主張する。

これ、なんとなく、分かる気がしませんか?

平凡な名前(と、本人は思っている)に、少し色をつけたい気持ち。

 

実名の方がいらしたら申し訳ないが、私の知人に「キョウコ」さんという方がいて、

その方は読書家であり、読む本読む本の背表紙に署名をするのだが

本によって、それは響子になり、今日子になり杏子になり鏡子になり、とバリエーションがあった。

名前そのものがちょっと変わってて、そういう変換のできない私は、とっても羨ましく思っていたものだ。

(極めつけは、太宰治の本の背表紙の「狂子」であった。かっこいいな~~~~~)

 

ものに名前をつける…、命名、という作業は、楽しいけれど難しくて。

名は体を表す、じゃないけど、大げさに言えば、その名前によって、運命まで決まってしまうような気がして。

初めて飼った猫に、酔った勢いで名前をつけた私が言える筋合いではないが(笑)、「名前」というものには、今でもとんでもない重さを感じてしまう。

 

だから…、それだけ、名前というものの重さを知っているくせに、

「アン・シャーリー・カスバート」になってしまうことに、しかも、そうなりたいがために、唯一の味方(だと勝手に思っている)マシュウに

「マリラは私を愛していない」なんて告げ口を吹き込み、

大仰な芝居(もう、芝居と言い切ってやる)までして、まんまと養女という地位をモノにする、「アン【という名の】少女」に、私は嫌悪感を覚えるのである。

あ、また最後は怒ってしまった。