古書店で、懐かしい本を見つけた。

 

「グルメを料理する十の方法」栗本薫著

 
 
栗本薫氏といえば、「グイン・サーガ」シリーズが有名だが、私はそっち方面は読んだことがない。
この「グルメを料理する十の方法」は、単発のミステリである。伊集院さんも薫くんも出てきません。
 
ミステリとしての評価や感想とは別に、私がこの本をよく覚えていた理由が、
「とにかく、食事のシーンが好き」
だったからである。犯人が分かってからも、食べるところだけ拾い読みしたりしたものだ。
 
読み物と食べ物って、実は非常に相性がいいと思う。
本を読んでいて「ああ、美味しそう…」と、急に何か食べたくなったり、小説の中の食べ物がとても印象的で、そのシーンをよく覚えている、なんていう経験は、誰にでもあるのではないだろうか。(私は、太宰治の「斜陽」の冒頭でお母様がお飲みになっていたスープが非常に気になる)。
「飯テロ」なんていう言葉もあるが、そういう本は案外多い。
 

 
本書は、大食漢の女性2人が主人公。ほとんどのシーンで何か食べている。
よしながふみさんの「きのう何たべた?」みたいな、日常の食事や自炊の工夫、的なのも魅力的だが、そういうのではない。逆に、まあ非常に俗物的というか、金に糸目をつけずに高級店の料理を食べまくる、みたいな感じ。フレンチ、イタリアン、中華に和食、とバリエーションも豊富で、こっちまで豪勢な気分になってくる。
…ここまで書いて「ああ、バブルの頃ってこんな風だったっけ…」と、急に遠い目になってしまうのであった。
 
美味しそうなものを見て、「美味しそう、食べたい」と思うのは、当たり前のことだ。
小説の中の食べ物が、ことさら美味しそうなのは、映像がないからではないかと、私は思う。どんな風にでも、想像できるから、記憶に残るのである。
 
そんな、想像力をかき立てるような描写のできない私の、せめてもの飯テロ記事でした。
 
 

 

ひとりで外出する際には、必ずと言っていいほど、何かを聴いている。
もう、癖みたいなもんで、耳にイヤホンがないと落ち着かない。

音楽を聴くこともあるが、最近聴くのは専らラジオ番組だ。好きなのがニュース関係なので、先日、買い物がてら、ちょっと遠くまで歩こうと家を出たときにも、報道番組を聴いていた。

最近は暗いニュースばかりである。政治、経済、国際、社会、どこを向いてもいいことなんかひとつもない。しかめっ面で昨今の情勢を聴きながら、ふと見渡すと…。

 

 

なんだ、お花がたくさん咲いてるじゃないか!

花壇に植えられた色とりどりの花。植え込みのマーガレット。もうサツキも咲き始めたのか。なんだか浮き浮きしてくる。

 

     

 

 

 

今年は、ソメイヨシノが満開だった頃は、連日、雨降りだった。

 

「お散歩がてら、お花見して、ついでにランチしようね」と誘い合ってた友人との約束は、雨のせいで3度もキャンセルになり、なんだよ今年は、全然春を楽しめない…、と、私はふてくされていた。でも、そういえば、いわゆる「花見」の短い期間が終わってからが、本当の「花盛り」なのである。

 

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しかし、足を止めて写真を撮っているときでも、耳には、容赦なく、とんでもないニュースが入ってくるのであった。なんだか複雑だなあ、と空を見上げると、葉桜になったソメイヨシノの隣で、八重桜がもこもこと咲いていた。

 

 

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…うん、満開の桜の下で宴会、もいいけど、私のお花見はこれで十分。思わぬ長い散歩になったので、喉がカラカラである。帰って、また暗いニュースを見ながらビールを飲もう。

シューベルトの曲を練習していて、ふと思い出したことがある。

 

「未完成交響楽」という古ーい映画。

シューベルトの「未完成」といえば、誰でも名前くらいは知っている彼の代表作である。そしてこの映画「未完成交響楽」は、その名の通り、シューベルト自身が主人公の作品なのだ。

私の母がこの映画をいたく気に入っていて、だから私も母と一緒に観たわけだ。

まだ子供だったので、正直なところ、映画そのものに関しては、おぼろげな記憶しかない。一番よく覚えてるのはこんなシーン。

 

教師であるシューベルトが、子供に分数を教えている。

教壇から、ふと、窓の外に目をやると、美しい薔薇が咲いている。

頭の中ににメロディーが湧いてくる。黒板に書いた分数がそのまま拍子記号となり、たちまち黒板は、歌曲「のばら」の譜面で埋め尽くされていく。

 

このように、前半は、わりとユーモラスな展開だったように思うが、後半は切ない初恋の話だったような。これは、観たときではなく、母に聞いて「知っている」だけのようにも思う。…という、なんとも心もとない感想なのだが、実は私の記憶に強烈に残ってるのは、この映画にまつわる、母のエピソードなのである。

 

母は、この映画にとても感動し、何度も思い返しては、うっとりしていたという。

ラストシーンの、風になびく黄金色の麦畑。秋の澄み切った青空の下、どこまでも続くその雄大な自然の情景…、ああ、あれをもう一度観たい…。

 

そして、その機会はやってきた。冒頭のシーンをひと目見て、母は仰天した。

この映画「未完成交響楽」は、モノクロ映画だったのである!

 

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あの黄金色はなんだったんだーーーーー?!

 

という、嘘のような本当の話。人間の想像力というものは恐ろしい。記憶まで変えてしまう。

自然は芸術を模倣し、現実は幻想を模倣する、というわけか。
 

母は他界したが、今もあの光景がいつでも見られる場所にいることを、切に願う。