古書店で、懐かしい本を見つけた。
「グルメを料理する十の方法」栗本薫著
小説の中の食べ物が、ことさら美味しそうなのは、映像がないからではないかと、私は思う。どんな風にでも、想像できるから、記憶に残るのである。
古書店で、懐かしい本を見つけた。
「グルメを料理する十の方法」栗本薫著
ひとりで外出する際には、必ずと言っていいほど、何かを聴いている。
もう、癖みたいなもんで、耳にイヤホンがないと落ち着かない。
音楽を聴くこともあるが、最近聴くのは専らラジオ番組だ。好きなのがニュース関係なので、先日、買い物がてら、ちょっと遠くまで歩こうと家を出たときにも、報道番組を聴いていた。
最近は暗いニュースばかりである。政治、経済、国際、社会、どこを向いてもいいことなんかひとつもない。しかめっ面で昨今の情勢を聴きながら、ふと見渡すと…。
なんだ、お花がたくさん咲いてるじゃないか!
花壇に植えられた色とりどりの花。植え込みのマーガレット。もうサツキも咲き始めたのか。なんだか浮き浮きしてくる。
今年は、ソメイヨシノが満開だった頃は、連日、雨降りだった。
「お散歩がてら、お花見して、ついでにランチしようね」と誘い合ってた友人との約束は、雨のせいで3度もキャンセルになり、なんだよ今年は、全然春を楽しめない…、と、私はふてくされていた。でも、そういえば、いわゆる「花見」の短い期間が終わってからが、本当の「花盛り」なのである。
しかし、足を止めて写真を撮っているときでも、耳には、容赦なく、とんでもないニュースが入ってくるのであった。なんだか複雑だなあ、と空を見上げると、葉桜になったソメイヨシノの隣で、八重桜がもこもこと咲いていた。
…うん、満開の桜の下で宴会、もいいけど、私のお花見はこれで十分。思わぬ長い散歩になったので、喉がカラカラである。帰って、また暗いニュースを見ながらビールを飲もう。
シューベルトの曲を練習していて、ふと思い出したことがある。
「未完成交響楽」という古ーい映画。
シューベルトの「未完成」といえば、誰でも名前くらいは知っている彼の代表作である。そしてこの映画「未完成交響楽」は、その名の通り、シューベルト自身が主人公の作品なのだ。
私の母がこの映画をいたく気に入っていて、だから私も母と一緒に観たわけだ。
まだ子供だったので、正直なところ、映画そのものに関しては、おぼろげな記憶しかない。一番よく覚えてるのはこんなシーン。
教師であるシューベルトが、子供に分数を教えている。
教壇から、ふと、窓の外に目をやると、美しい薔薇が咲いている。
頭の中ににメロディーが湧いてくる。黒板に書いた分数がそのまま拍子記号となり、たちまち黒板は、歌曲「のばら」の譜面で埋め尽くされていく。
このように、前半は、わりとユーモラスな展開だったように思うが、後半は切ない初恋の話だったような。これは、観たときではなく、母に聞いて「知っている」だけのようにも思う。…という、なんとも心もとない感想なのだが、実は私の記憶に強烈に残ってるのは、この映画にまつわる、母のエピソードなのである。
母は、この映画にとても感動し、何度も思い返しては、うっとりしていたという。
ラストシーンの、風になびく黄金色の麦畑。秋の澄み切った青空の下、どこまでも続くその雄大な自然の情景…、ああ、あれをもう一度観たい…。
そして、その機会はやってきた。冒頭のシーンをひと目見て、母は仰天した。
この映画「未完成交響楽」は、モノクロ映画だったのである!
あの黄金色はなんだったんだーーーーー?!
という、嘘のような本当の話。人間の想像力というものは恐ろしい。記憶まで変えてしまう。
自然は芸術を模倣し、現実は幻想を模倣する、というわけか。
母は他界したが、今もあの光景がいつでも見られる場所にいることを、切に願う。