こんばんは

 

しらこまです

----------------------------------------

散策記まとめページ1(~2017年)

https://ameblo.jp/cuttle-bone/entry-12275056212.html

散策記まとめページ2(2018年~)

https://ameblo.jp/cuttle-bone/entry-12393348995.html

前の記事→散策記111-1
次の記事→散策記111-3
----------------------------------------
 
前記事の続き。
 
彦根城の次に行ったのは安土城址
安土駅前は閑散としていた
 
安土城は最寄りの安土駅から若干遠いのでレンタサイクルで行った
 
自転車でおよそ15分くらい
 
行っている途中で撮った安土山
小高い山っていう感じ
 
天下一だったであろう安土城だけど、跡としてはこんな感じの入口
なんだかすごくさびれてる…
 
とは言っても特別史跡となってる
 
安土城は戦のための城というよりは見せるための城で、
 
今ではお城と言えばこれ、という天守が初めて作られたお城とも言われる
 
そんな安土城は、1579年に完成したものの、
 
本能寺の変後に、謎の火災によって焼失してしまう
 
わずか3年で焼け落ちてしまい、資料としてもあまり多くは残されなかった
 
まさに幻の城というような感じ
 
 
安土城は当時は天然の要害だった
琵琶湖から続いている湖が安土山のすぐ近くまで来ていて、
 
安土城築城時の資材運搬も湖からやっていたという話もあるくらい
 
今は西の湖だけが残っていて、大中之湖、小中之湖と
 
伊庭内湖の大半が埋め立てられてしまった(第二次世界大戦中・戦後)
 
安土城周辺図
真ん中あたりの大きな山っぽいところは観音寺城があった場所
 
その左上の小さめな緑のところが安土城(安土山)
 
安土城へと続く大手通は復元がされていた
この道の左右にいろんな邸宅が建てられていたらしい
 
羽柴秀吉邸跡なんかは伝え残されていた
 
立派な石垣
 
結構急こう配だった
 
織田信忠邸
今は跡形もない
 
 
二の丸跡には織田信長公の本廟がある(本廟は諸説あり、そもそも遺骨はないとされてるけど…)
そうは言ってもなかなか整備されてた
 
 
さらに進むと本丸跡
結構広かった
どちらかというと横に広かった
 
そして天守へと続く道を登る
天守跡には大きな礎石が多く残ってた
これでも一部で、周りの盛土部分も天守焼失後に堆積した土を掘れば礎石が出てくる?のかも
ただ、許可なく掘ったりして形を変えるのがだめだからできないけど
 
天守から見た北の方
田園風景が見えているここは、数十年前までは湖であったであろう場所
 
という感じでした
 
 
安土城から直線で700mくらいのところにセミナリヨ跡があったのでそっちにも行ってみた
キリスト教の本格的な学問所として1580年に建てられたものの、
 
本能寺の変関連で安土城も同時期に燃やされてしまったため
 
安土のセミナリヨも短命で終わってしまったらしい
安土のセミナリヨはその後少しずつ西に移動していったけど、
 
結局は徳川家康の大追放令で1614年に廃校になってしまった
ただ、後々一揆だとか隠れキリシタンがとか、いろいろ話に出てくるから
 
なかなか影響力あったんだろうね
 
 
そのあとは安土城考古博物館にも行った
ここは安土城に限らず、考古的な展示がされてた
 
琵琶湖に沈んでしまった遺跡も結構あるんだって
 
というあたりで安土編はおしまい。