見た目アップアドバイザー、なるみです。
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私は、コトバが好きだ。
これは
本好きの父の影響も大きいのかもしれないが
幼いころから活字が好きだった。
が、本などで得た新しいコトバを使うと
「わかりにくい」「どういう意味?」などと
あまり歓迎されない場が多かったため
いつからか、「わかりやすい」コトバを
意識して使うようになった。
ですが先日、こんなコトを耳にした。
「わかりやすい」は、我々を破滅させる。
それは私が思うに
表面だけをさらって
単純なコトバで表したり、分類するコトかなと。
コトバにひそむものだったり
コトバがもっているものを無視して
わかりやすいものに当てはめるだけの、雑な行為。
例えば代表的なコトバが
自分も無意識に使っている、「すごい」「ヤバい」。
ほとんどのコトは、
このコトバで賄えるんじゃないかというくらい
便利なコトバではあるけれど
それが表す意味を、果たして説明できるのだろうか。
日本語には、とても多くの繊細な表現があるのに
日々使うコトバは、
恐ろしく狭い範囲に留められているのではなかろうか。
そして思った。
私はもっと、コトバを巧みに使いこなしたい。
ひとつのコトを、もっと多面的に表現してみたい。
ですので、すごい、ヤバいなどを封印して
違った表現を口にするように練習しています。
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コトバがその人を創る。
どんなコトバを発するかで
その人の脳内がわかる。
今の私は、
親しみやすさより知的でありたいと思う。
例えば、見目麗しくても
発するコトバが稚拙だと
残念なことにその人のイメージは
「稚拙」になってしまう。
逆に、発するコトバが知的だと
どんな見た目だとしてもその人は
「知的」になると思うんです。
ですが
コトバだけ知っていても意味がなくて
きちんとその意味を分かったうえで
使いこなす。
長い間、無意識に蓋をして
蓄えていたさまざまなコトバたち。
もうその蓋を外して、
使ってもいいかな、と思っています。