ふっと心がかるくなる 禅の言葉 より』,

 

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歩歩是道場(ほほこれどうじょう)


素直な心さえあればどこでも学びの場

修行は道場だけでするものではなく日々の暮らし言動のすべてが道場であり修行であるとする

維摩経(ゆいまぎょう)(『趙州録』)

会社勤めをしながら行き帰りの通勤電車内の勉強で司法試験に合格した人がいました

携帯電話のメール機能だけを使って小説を書き上げ新人賞をとった人がいました夢を持っていても

場所や環境などいろいろな条件が自分の不利だからといっ(またそれを言い訳にして)あきらめてしまう人が多いものです

 

この禅語のもとの話はこうです

あるとき閑静な修行の場を探していた修行僧が街に向かおうとやってきた維摩居士(ゆいまこじ)に出会い

『あなたはどこから来たのですか』と訊くと『道場から来たのだ』と返ってきました

『えっ、その道場はどこにあるのですか』と訊きかけると維摩居士はすかさず『直心是道場』と答えました

『まっすぐ素直な心を持っていればどんなところでも道場すなわち修行の場である』と

 

修行の場はそれぞれの心の内にあるのだから場所など関係ない

そのすることなすことの一歩一歩が仏法修行なのだということです

雑念を払い無心に打ち込めばどんな条件であっても自分を磨いたり夢に近づくことができるはずです

 

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40年もの長い間東京で過ごした(働いた)私ですが東京に身内親類縁者がいたわけではありません

ましてや勤め先の移動によるものではありませんでした

 

 

 

当時の日本は東京オリンピックの成功で戦後の経済復興上昇中の時でした。

それでもまだ都電は走っていましたし総武線など海老茶色の狭くて小さな車両で、

真ん中に突っかい棒があってラッシュアワー時などしがみ付いていた覚えがあります

地下鉄は既に走っていて秋葉原の乗換えで降りられず浅草橋まで行ったという笑い話もありました

 

余談はさておき…東京に行った理由は『逃げ出せない環境を作ろう』と思ったからです

つまり直心是道場若き身空で無謀とも取れる行動でしたが

今となって感じることは可愛い子のには旅をさせろと送り出してくれた両親に感謝しています

 

 

 

今フリーターとカッコよく名づけられた定職に就かない若者

学歴目的の進学など多くの問題を抱えた日本

親子で考えなければいけない問題があるような気がするのですが…