僕は、クリスマスソングが、好きではありません
10年前のクリスマス。
姉の容態が悪くなり、急いで札幌から室蘭の病院へ。
その途中、駐車場へ行く間、街角ではクリスマスソング、
楽しそうなカップル、親子連れ。
姉が癌で入院して、病と闘ってるのに、街ではクリスマス。
悲しくて泣きながら運転していました。
楽しいはずのクリスマスが、悲しいクリスマスソングとなりました。
だから、今でもクリスマスソングを聞くと、
姉が苦しんでるのを思い出します。
だから、クリスマスは嫌いじゃないけど
クリスマスソングは嫌いです
そして、
クリスマスから三日三晩苦しんで、
意識朦朧としたまま、大きな呼吸だけで、
唇は乾燥してカサカサ。呼んでも返事はない。
でも、僕達の声がかすかに、聞こえてるような…
ずっとそばにいた。
いたかった。
苦しんでる姿を、この目に焼き付けたかった。
そして、
2001年12月28日 午前7時11分
姉、佐津紀と永遠の別れとなりました。
姉に、ありがとう と初めて言った…
正直、ホッとした…
この苦しみから解放されるんだ。
もう頑張らなくていいよ。
姉、佐津紀は生前、レコードを出していました。姉の歌をかけます。
僕の人生は姉によって創られました。
1)「美容師になったら!」
高校三年の時に姉に言われるままに美容師になりました。
2)お店を開店したとき、忙しい店内を眺めながら、
「じゅんさん、10年は大丈夫だから」
本当に10年間ものすごく忙しかった。
10年後僕は次の手を打つために、札幌へ出店しました。
3)僕はサスーンコンテストに17年間出続けていた。
姉の病床で、姉は言った。
「じゅんさん、本気じゃなければ、コンテストにもう出るんじゃない。
世界のサスーンをなめたらいけんよ。
勉強のためだと思ってでてるんじゃないの?
参加するだけなら、ひとつも勉強なんかならないよ。
あんたは、他にやることがたくさんあるんじゃないの?
もう出るのをやめなさい!」
そう言い残して姉は亡くなりました。
一周忌の前に、絶対に優勝するから! と姉の遺体に誓いました。
17年間に一度しか、入賞したことのないサスーン全国大会で、
46歳、17回目の夢のチャンピオンになりました。
姉の言葉がなければ、ただ、参加してたコンテスト。
姉がなくなった三年後、 カット講習を、
いくらやっても30回止まりだったのが、
80回、100回と増えたのでありました。
姉が僕の人生を創ってくれました。
佐津紀は、僕の人生の師匠であり、美容師の先輩であり、
母でもあり、姉でもありました。
本当にありがとう。
佐津紀がなくなってちょうど10年です。
今年最後のラジオは、姉、佐津紀の命日です。
公のラジオではありますが、姉のために、捧げたいと思います。
皆さん、時間があれば聞いてください。
12月28日(水)PM9~10時
☆動画で見れます USTREAM
http://www.ustream.tv/recorded/18518725
(9時になったら自動的に入ります)
★ インターネットで世界中から聞けます http://www.830.fm/
☆札幌市内のラジオではFM83.0
今年最後のラジオになります。
ダメだ。泣けてきた…(笑)
ありがとう。