そうそうコームの色を変えました。

photo:01



若い頃から、お客さんの数をたくさんしようとか数をこなそうとかのやっつけ仕事は、醜いことだと、

髪を触れるということに、あなたに触れるということに、

髪に慈しみを込めて
穏やかな色で接しようと思うのです。

僕の全ての歴史を使って優しく愛あるヘアカットをしようと…

お客様にもヘアカットを楽しんでもらえるようにと…

どうか皆さんが幸せであるように…

じゅん先生

30年前の僕は、スタッフがたくさんいるお店がうらやましかった。


活気があって皆でコンテストに出て

燃えてるスタッフがたくさんいて・・・自分が小さく見えて情けなかった。

だから・・・・うらやましかった・・・


「 順さん、素敵! 反感の感情の 「動機を純粋化」し、

自分は羨ましがっているという
本音が見えていた事が、

順さんの成長に大きな大きなパワーを与え
たんですね。
人への反感だけで終わらず、

その感情の奥にある求めているものを
見つけ出す。
順さんを信頼する仲間、順さんを師匠として慕う仲間達は

順さん
の宝ですね。

前向きで倒れたい。。。。。私も同じ思いです!!
後悔の無い人生に、乾杯ですね。」


大橋 江里子さんが僕の記事を読み見事な回答をくれました。


なんかね・・・・・これ読んでると若かりし頃を思い出す。
「自分を、信じて疑うべからず!」良かったからシェアした(爆)
今こうしてスタッフを育てようとか仲間を作ろうと思うようになっ
たのも
若かりし、あの凄い芹沢先生の美容室があったから。
スタッフも少なく、がむしゃらだった若い僕、大きな美容室で皆が



仲良く働くスタッフを見てはうらやましがってた・・・・


あれから
20年。人がうらやむスタッフが育ってきた。 

今やってることが
無駄だと思うことなかれ。焦るなかれ。
美容師になって30年以上。今頃やっとあの頃、夢見た環境がで
きつつある。
だから少しくらいの結果が出ないからとあきらめるな。
何をやってるんだか・・とあきらめるな。
5年とか10年とか頑張ったからってあきらめるな!

僕はサスーンチャンピオンを獲るまで18年間もかかった。
18年間だよ。 自分を信じてて良かった(笑)
あなかしこ~あなかしこ~。

 


「強く・・強く思えば、いつか必ず!」

僕がまだ若い30歳前後。カットコンテストに出続けてた頃、

札幌の大きなホールで大人数で応援にやってくる大型店舗の美容師軍団がいました。



そしてスタッフの方が入賞すると広いロビーでにぎやかに記念写真を。

それを見て僕は2つの事を思ってました。


1)なにやってるんだかぁ~ったくぅ~~もぉ~と反感をかう自分

(当時スタッフが8人しかいない僕は、その光景を見て、

たかが入賞くらいで、大袈裟な・・ 自分がチャンピオンなのに)

お店が小さくて悔しくて帰りの車の中で、一言も話さずにいた僕・・)


2)その反面、羨ましかった!仲間の入賞を皆で祝っている。

僕のとこは室蘭から2~3人しかスタッフが来ていない。

すっごいうらやましかった。でも自分はまだそんなスタッフがいない

いつも思ってました・・・僕も沢山のスタッフがいて、美容のこと、

ヘアスタイルのこと、未来を語り合える仲間がほしい・・・イイナ!

僕もいつか、あんな風にたくさんスタッフがいたらな~~!と。

しかし、

その思いは20年後(50歳の頃スタッフが24名)くらいにかないました。

(一時期支店を作りスタッフにのれん分けをして8名少なくなったが。現在はスタッフ32名)

今はスタッフと語ろうと思えばいくらでもいる。


*******************

あの若い頃思ってたことが、すぐではないけれど実現した。


仲間がいるって   いいね!(笑)


そりゃ~一人でやってる方より、問題点は山積みだ(爆)

大変なことも比べ物にならないくらいになる。でもその反面、喜びも大きい。

一人で美容室をやってた姉は言ってた

 「じゅんさん、一人でやってると楽だよ~」

それもわかる・・・でも僕は違ったのだ。


北海道を引っ張る美容室を作りたかった!


********************


あの日見た夢に、どれだけ近づいているだろう…

川根順史DVD「JUN愛より」



札幌じゅん先生のPMAでいこう~!-image

まだまだだから・・これからもあきらめずにがんばる!

何年かかるかわからないけど・・・・でも


できなくても、前向きで終わることはできる。 

そう、いつも前向きで倒れたい!(笑)


あきらめないこと・・・・

サスーンチャンピオンだって18年がかり。

講師の仕事=年間100回だって20年がかり。

テレビだって、ラジオだって最近の事だ。


人生は短い!と勘違いして  焦るな!急ぐな!

***********************************


「人生を長い、短いと長さで計るような事を思うなかれ!」

***********************************

自分の実力を高めるのだ! 焦るでない!急ぐでない!

10年チャレンジしてできないからと言ってあきらめるでない!

できるまでチャレンジするのだ!

チャレンジしてる時こそ 人生は楽しいものだ




熱意を込めて・・・川根順史


『終わらない旅』

生きることは、決して簡単なことではない。
息をして、目を開き、足を前に出して、一瞬一瞬の今を生きること。

その尊さ、そして難しさを、僕は風の吹き荒れる秋季エベレスト高度8000m地点で感じていた。

山を登ることは、それほど難しくはない。
山に登り続けること、そして生き続けることが難しい。
...

頂に登ることができても、また頂に向かうだけ。

ずっと僕はその頂の先にある世界を目指し、誰も登ったことのない自分の山を登り続けていた。

その山はマッキンリーから始まり、8000m峰三座を登り、秋季エベレストと、まるで山脈のように長い縦走。
振り返ると、ずいぶん高い所までやってきた。

その遥かなる頂は、それほど遠くなく、あと少しで到達できるかもしれない。

2012年秋季エベレスト西稜。
未だに忘れることはなく、登り続けている山。


10月17日、標高7500mのキャンプ4。
テントの入り口から、目の前にエベレスト西稜が鋭くそびえ立っていた。

SpO2(血中酸素濃度)は53と低く、心臓の鼓動がずっと高鳴っている。

稜線から見える景色は、北側はチベット高原が地平線奥まで広がり、赤茶色の砂と山が北を覆っていた。
ネパール側は真っ白なクーンブ氷河と神々の頂。
エベレストの稜線を挟んで、南北まるで陰と陽に別々の世界が混じり合っていた。

時折、地吹雪でテントがあおられる。
沈みかけていく太陽。

今日の夜7:30に、アタックをすることに決めていた。
標高7200m以上で3日間、風が止み登れるチャンスを待ち続けていた。


エベレストは通常、春に登る登山隊が多い。
僕は人が多い時期を避け、生身のエベレストを感じるために「秋季」という時期に挑み続けた。

だが秋季エベレストの登頂率は春に比べるとかなり低く、挑戦する登山隊も少ない。

秋季エベレストの一番の厳しさは、「ジェットストリーム」という猛烈な風と寒気。
それが長くて2週間も山に居座り続ける。

外見は快晴だが、強風が山に当たり、張り付く雪を高く舞い上げていく。
複雑で巨大に動く風は、まるで龍のようだった。

2日前に屈強なポーランド隊がローツェにアタックしたが、シェルパ2人がこの強風に飛ばされて滑落。
1人が1000m以上も滑落して死亡し、もう1人は重傷。

サウスコルの上部が目の前に見え、いつもなら雪で真っ白だが、今は強風で雪が飛ばされ真っ黒い岩の地肌が見えていた。


日本の山岳気象予報士とベースキャンプを通じて連絡を取り合い、このジェットストリームの中でのアタックを探っていた。
日本の山岳気象予報士とベースキャンプを通じて連絡を取り合い、このジェットストリームの中でのアタックを探っていた。

秋季エベレストを単独・無酸素で登るには、針に糸を通すようなタイミングと運が必要とされる。

2010年・2011年は、このジェットストリームを前に下山を決めた。
2009年は、天候ではなく中国の国慶節60周年で登山期間が短縮され、無理なスケジュールの中での強行アタックだった。

この秋季エベレストは、体力や根性だけで登れる世界ではない。

まさに山の神様からの手招きが必要とされる。


今まで秋季エベレストは、僕にスタートラインにさえ立たせてくれなかった気がする。
だが今、僕は西稜にいてエベレストと向き合っている。

予報ではジェットストリームが比較的弱まる16-17日以外は、もうチャンスはない。

8000m付近で風速20m/sの予測で、これを過ぎると30-40m/sになってしまう。

心は迷ってはいなかった。
自然と身体が山と向き合いたがっていた。

太陽が沈むにつれて、テントの中は真っ暗なクレバスの中にいるかのような寒気が身体を覆い、僕は手足を動かし続けていた。


午後6:00 SpO2 54、脈107。
順応がうまくいっているのか、脈は高くても一定を保っており、息苦しさは感じない。
テントの中で食事を済ませて、アタックの準備をしていく。
食欲は、過去の登山と比べても最もあった。
まるで子供の頃に初めて行く遊園地のように、心では不安よりもワクワクが勝っていた。

太陽が沈み闇に包まれた午後7:17、「頂上で会いましょう」と、ベースキャンプに無線で出発を伝える。

いつもなら気持ちが高ぶってしまうのだが、意外と冷静で高まる気持ちを抑えて無駄な力を使わないようにする。

ここから先はいかに自分を「無」にし、無駄な酸素とエネルギーを消費せず、足を前に出せるか。

不安も恐怖も全てはエネルギーであり、「登る」という一つの行為だけに、良いものも悪いものもあらゆるエネルギー全てを一歩に集中させる。

新月になったばかりのエベレストは、今まで体験したことのない寒気と暗闇だった。

昨年は満月の光が当たり、月の温かい温度を感じていたが、今年は月が現れることはなく、頭上を見上げると星々が会話をするかのように輝いていた。

その星々に、どんどん近づいていく。
まさに、ここは宇宙に一番近い場所であり、そして死に近い場所だった。


C4(7500m)から北壁に向けてのトラバース(横移動)は、順調だった。

暗闇の中でも方向を見失うことなく、岩と雪の斜面を階段のように徐々に高度を上げながら、北壁に近づいていく。

時折、ポケットの中からチョコレートやパワーバーを取り出すがレンガのように固く、歯が欠けてしまうかと思うほどだ。

特注の分厚いミトン(手袋)の中にホッカイロを入れていたが、既に暖かさは消えていた。

トラバースからホーンバイン・クロワールの入り口に向けて、直登していく。
クロワールに向けての方角は合っているものの、周りが暗過ぎて本当にルートが合っているのか時々不安になる。

見下ろすと、2009年に登った北側のノースコルが近く見え、僕はエベレストのど真ん中にいた。

風はどんどん強くなり、耐えているだけで身体から体温が奪われていく。


10月18日
午前4:53。
あまりの風の強さに、思うように前に進めない。

徐々に南東の方に太陽が出てきているのを感じたが、北壁に太陽が当たるのは昼過ぎで、今はまだ暗闇の中での登攀だった。

風は強風からいきなりの突風に変わり、身体が後から前に突き飛ばされた。
もしこの突風が前からきていたら、僕は背中と頭が山の下を向き、そのまま滑落していただろう。

ドンッと大きな男に後から突き飛ばされる。
これは風ではなく、まるで塊のようだった。


陽が出てくるとさらに風が強くなり、風で吹き飛ばされる雪や氷が見えていた。
うなる巨大な龍は、もう目の前にいた。
大きな一つの風の塊が当たると、一気に騎兵隊のように横に広がり、列が揃うと下から上にものすごい勢いで飛んできた。
風で飛ばされてくる小石や氷が顔に当たり、目が開けられない。

そしてまた山の方を向くと、ドンッと突き飛ばされ、僕の身体が一瞬浮いた。
このままでは、この龍に食べられてしまう。

ホーンバイン・クロワールの入り口はもう目の前にあり、真四角の大きな岩の下に身を寄せた。
それでもこの龍から逃げることはできない。

岩の下の小さなくぼみに身体をねじ込ませようとするが、龍の鋭い爪が僕を外に掻き出そうとする。


気が付くと、その岩からロープがダブルになって垂れ下がっていた。
このロープは、恐らく春に挑戦したアメリカ隊のロープだろう。

ホーンバイン・クロワールは、1963年にアメリカ隊が初登頂に成功したルート。
確かにここを登って行った人がいたのだ。

そのロープのある岩から左に大きな岩の溝があり、それがホーンバイン・クロワールの入り口だった。


クロワールの中にも風が入り込み、ゴーという音とともに大小の龍が複雑な動きをしていた。

標高は8000mを越えているが、体調は悪くない。
息苦しさを感じることもなく、身体の中で燃えている火も消えることはない。

だがこの風の中で先に進めば、帰って来ることはないだろう。
予報では強風はこれからさらに強くなり、風速40m/sを越えていく。

目の前に、山頂に続く一本の道がある。

この4年間、駆け上がってきた夢への道が、徐々に細く白い線となって上に続いていた。

ここを登らなければ、山頂にはたどり着けない。

だがこの強風の中で突き進めば、帰って来られなくなるのはわかっていた。
生きるのか、登りそして終わるのか。


僕は生き続けることを選んだ。

4年間の苦しみと様々な想い、そしてたくさんの人の応援。

夢を共有して、今までになかったエベレストの頂。
僕にとって、この頂は全てであった。

成功よりも登頂よりも、大切なのは命であり、生き続けること。

勝っても負けても、生き続けること。
成功しても失敗しても、生き続けること。


午前6:30
「風が強く、これ以上は危険と判断しました。ごめんなさい。」
と、凍った無線機でベースキャンプに告げた。

生きると決めてから、この強風の中、なんとしても下山をしなければならない。
山は登った分、下りがある。

すでに両手両足の感覚は無くなっていたが、今までの登山での感覚とは違い、両手の動きが硬く明らかに凍傷の兆候があった。

急いで酸素の濃い標高まで下山しなければいけない。

凍傷は時間との闘い。
下山を急ごうとするが、先ほどの龍がまだ居座っていて僕を帰そうとはしない。

強風で身体を前に出せない。
だが向こうの息は長く続かず、弱まった隙をみて進み、強まると身体を飛ばされないよう斜面にしがみつく。
まるで「だるまさんが転んだ」のようだ。

前に進み、しがみつき、もがき苦しむ。


トラバース地点まで下山してきた時に、ようやく風が少し落ち着いてきた。
気が付くと、僕を飲み込もうとしていた龍から逃れることができた。

太陽のまぶしい光が全身に当たる。
だが両手両足が温まることはなかった。

この両手で、C3(7200m)からC2(6400m)への雪壁を下山するのは困難だろう。
無線で、ベースキャンプに救助を求めた。

標高6400mのC2に撮影班をサポートするためのシェルパがおり、7300mの西稜下での合流を求めた。

しかし、彼らがすぐに上部まで上がって来ることはできない。
彼らは元々救助をする予定はない。
必要な長さのロープはなく、またC3(7200m)に向けたクロワールへの直登はブルーアイスがあり危険だった。


無事にC4(7500m)に着くが、生きた心地がしなかった。
両手はすでに真っ白になり、血が通っていない。
動きもさらに硬くなり、石のように手が動かなくなってきた。

水分補給もできないテントの中、身体を丸くして呼吸に集中する。
生きることは、まさに息をすること。
身体が動かなくても、息をして回復を待ち続けた。


翌19日夕方。
C4(7500m)でシェルパとようやく合流し、夜通しC2(6400m)に向けて下山した。
西稜は、再び宇宙に包まれていた。


日本に帰国後、すぐに入院となった。
足の凍傷は軽傷だったが、右手親指以外の手の指は重傷で、第二関節より先は切断と宣告された。

激痛と高熱が続く中、僕は父に電話した。
父にあまり心配を掛けたくないと思い、しばらく電話するのをためらっていた。

父との約束は、何があっても無事に帰って来ること。
頂いたこの身体を傷つけてしまったことに、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

父に電話すると、意外な言葉が返ってきた。
「おめでとう」

下山して、「おめでとう」と言われたのは初めてだった。

「お前はそれだけの苦しみを背負って、これからも登る。それはすごいことだよ。」


標高8000m地点での下山。
4度の挑戦。
そして、重度の凍傷。

人はそれを「失敗だ」と言うかもしれない。


しかし、僕はあの場所までたどり着き、あの龍のような地球の息吹、宇宙を感じることができたことに、後悔はなかった。

「登頂成功」は一つの山の終わりであり、始まりに過ぎない。

僕が求めている頂は、成功しそうだから挑戦する、または失敗しそうだから止めておこうという壁はなく、本当に自分が心からやりたいと思っていることに挑戦していくこと。


そこには成功も失敗もなく、挑戦する喜びがあり続ける世界。

そこに僕は向かい、共有し、世界に広げていきたい。


勝っても負けても、生き続けること。
成功しても失敗しても、生き続けること。

終わらない旅は、まだこれからだ。



「リーダーとは、とっておきのエピソードがあること」


1988年、美容のカットの大会で

初めて日本代表でマレーシアでアジア大会に参加。

入賞はしたものの、優勝は逃す。


それ以来、アジア大会優勝を目指したが

ソウル、シンガポール、タイなどの大会も全て入賞はするが優勝ならず。

しかしこの時期、日本代表としての責任や使命を

身近に感じるほどコンテストにのめり込んでいた。

3日徹夜など当たり前。日本の誰よりも練習した!

結果、国内の大会では17回の優勝。
誰よりもやってきた!という自負が、

今の、突き抜けた自分を作っていることは確かだ。


30代の体力のある時に、楽をしようとか、

簡単に稼げるとかに走るのでなく、

50代になった時に、語れるものが欲しいな…

考え方など幾万通りあるが、後輩ができた時、

今までやってきた事が、

「自分のとっておきのエピソード」の布石になるはず。

恐れずに言う!「30代の青年よ!楽をするな!」


今夜のラジオは、栗城史多くんを応援したいがために、

岩見沢の講演会で800名を集客しようと走り回る青年をゲストに迎えます。
お楽しみに!



札幌じゅん先生のPMAでいこう~!

ラジオ「じゅん先生のPMAでいこう」


世界中で生動画ユーストリーム見れます

http://www.ustream.tv/recorded/18518725  

世界中でインターネットでも
  
http://www.830.fm/

iPhone&スマートフォンでも 
  
http://tunein.com/

札幌の人はラジオWITH-S FM 83.0
☆再放送は音声のみ☆金曜23時、日曜21時~




小さな登山家、北海道出身の栗城史多くん。

彼はいつも前向きだ。どんなことがあろうと夢をあきらめない。
どんなことがあってもだ。



札幌じゅん先生のPMAでいこう~!



栗城君は、いま人生の岐路に立たされている。
重度の凍傷で指を切断するかどうか?

 そんな栗城君をみて一人の若者が、
応援したいし、その神々しい姿、経験談を多くの方に
聞いて欲しいと800名を収容する場所で
講演会を小さな街・岩見沢で主催しようとしている。

彼の名は中島洋治くん。 そんな彼が僕を訪ねてやってきた。
「栗城君をよく知ってるじゅん先生に是非話を聞きたい」と。

そんな中島君をゲストに呼び
16日(水)21~22時は栗城史多くん特集。

ラジオ「じゅん先生のPMAでいこう」

世界中で生動画ユーストリーム見れます  
http://www.ustream.tv/recorded/18518725
世界中でインターネットでも
  
http://www.830.fm/
iPhone&スマートフォンでも 
  
http://tunein.com/
札幌の人はラジオWITH-S FM 83.0
☆再放送は音声のみ☆金曜23時、日曜21時~


僕たちは北海道出身の小さな登山家・栗城史多君に多くの勇気をもらった。
今、彼はエベレスト登頂失敗の上、凍傷により指を切断の危機に迫っている。
今こそ彼を応援しよう! 講演会に行こう!

 そんな栗城君を応援しようと岩見沢の若者が立ち上がった!
彼の名を中島洋治という。 
どうか栗城ファンの方、中島くんを応援&激励してあげて少しでも
たくさんのご来場者を期待します。

5年来のうちのお客さんだった栗城くんをよろしくお願いします。
どうか栗城君の指が何ともないように祈ります。

3月3日(日)18時~栗城史多 講演会
http://www.facebook.com/events/245830228883637/
場所: まなみーる岩見沢市民会館
    北海道岩見沢市9条西4丁目1番地1
入場料:前売券2,000円(小中高生1,500円)
    当日券3,000円(小中高生2,500円)
「実は人生は自分で選択していない」
自然は、善意も悪意も持ってない。
重力や電磁力と同じようなもので、ただ、法則があるだけだ。
マンボウは一度に3億個卵を産むが、親になるまで食べられず生き残るのは数個しかない。
残りの2億999万997個くらいの卵の"人生"など考えられていない。
たまたま人間は「手間ひまかけずに多く産んで、そのごく一部が生き残る」という選択ではなく、 「少なく産むけど、手間ひまかけてなるべくそれを生き残らせる」という進化上の選択をしているに過ぎない。 その選択の延長上に、"自分"という概念が産まれた。

たとえば、目の前にメスのウサギがいたとする。
もし、自分がオスウサギだったら、交尾したいと思うかもしれない。
一方で、自分が腹の減ったオオカミなら、それを食料として食べたいと思うだろう。
つまり、そのウサギと交尾をしたいと思うか、食料として食べたいと思うかは、自分の選択ではなく、 自分がオスウサギか、オオカミかで決まっているということだ。
そして自分がオスウサギか、オオカミかは自分で決めていない。最初から決まっていることだ。

ニック・ポータヴィー著『幸福の計算式』という本では、中年の歯医者との会話が載っていて、それが興味深かった。
著者の友人がバーで出会った中年の歯医者に対して「ところで歯医者になって幸せですか?」と聞くと、 歯医者は「幸せ? 私は不幸ですよ」と答えた。
それをからかうように「何ですって?そんなに不幸なら、そもそもどうして歯医者を選んだんですか?」と聞くと、「私が選んだわけじゃありません」と言い、衝撃的な言葉を発した。
「歯科医になることを選んだのは、18年前の愚かな子供ですよ。今の私じゃない」と。
これも、自分というのがずっと同じだと錯覚していることをテーマにした話だ。

たとえば、性に対する執着は、◯◯被告のように強い人もいれば、 ◯◯のように小さい人もいる。 また、見た目も佐々木希や、石原さとみのようにキレイな人もいれば、◯◯のようにキレイでない人もいる。
そのような違いによって、その人の周りの反応は変わり、その人の振る舞いも変わるだろう。
だが、それをきちんと理解すれば、その人がどんな人生を選択するかは、ほとんど決まってくる。



札幌じゅん先生のPMAでいこう~!

僕たちは、

北海道出身の小さな登山家・栗城史多くんから多くの勇気をもらった。

今、彼はエベレスト登頂失敗の上、凍傷により指を切断の危機に迫っている。


今こそ彼を応援しよう! 講演会に行こう!



札幌じゅん先生のPMAでいこう~!

 そんな栗城君を応援しようと岩見沢の若者が立ち上がった!
彼の名を中島洋治という。 


どうか栗城ファンの方、中島くんを応援&激励&これをシェアしてあげて少しでもたくさんのご来場者を期待します。

5年来のうちのお客さんだった栗城くんをよろしくお願いします。 


どうか、...栗城君の指が何ともないように祈ります。

3月3日(日)18時~栗城史多 講演会
http://www.facebook.com/events/245830228883637/


場所: まなみーる岩見沢市民会館
    北海道岩見沢市9条西4丁目1番地1
入場料:前売券2,000円(小中高生1,500円)
    当日券3,000円(小中高生2,500円)

 ~プロフィール~栗城史多(くりき のぶかず)   

1982年北海道生まれ。大学山岳部に入部してから登山を始め、6大陸の最高峰を登り、2007年以降はヒマラヤ8000m峰に挑戦。2007年「チョ・オユー(8201m)」の単独・無酸素登頂、2008年には「マナスル(8163m)」にて日本人初の単独・無酸素登頂と山頂直下からのスキー滑降に成功。2009年からは「冒険の共有」としてのインターネット生中継登山を始め、「ダウラギリ(8167m)」の単独・無酸素登頂と6500m地点からインターネット中継を行う。
エベレストには登山隊の多い春ではなく、気象条件の厳しい秋に単独・無酸素で挑戦する


こんな栗城君の想いを知って誰が「失敗」と言えるだろう?


「日本に帰国後、すぐに入院となった。
足の凍傷は軽傷だったが、右手親指以外の手の指は重傷で、第二関節より先は切断と宣告された。

激痛と高熱が続く中、僕は父に電話した。
父にあまり心配を掛けたくないと思い、しばらく電話するのをためらっていた。
父との約束は、何があっても無事に帰って来ること。
頂いたこの身体を傷つけてしまったことに、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


父に電話すると、意外な言葉が返ってきた。 「おめでとう」

下山して、「おめでとう」と言われたのは初めてだった。

「お前はそれだけの苦しみを背負って、これからも登る。それはすごいことだよ。」

標高8000m地点での下山。4度の挑戦。そして、重度の凍傷。
人はそれを「失敗だ」と言うかもしれない。


しかし、僕はあの場所までたどり着き、あの龍のような地球の息吹、宇宙を感じることができたことに、後悔はなかった。

「登頂成功」は一つの山の終わりであり、始まりに過ぎない。


僕が求めている頂は、成功しそうだから挑戦する、または失敗しそうだから止めておこうという壁はなく、本当に自分が心からやりたいと思っていることに挑戦していくこと。


そこには成功も失敗もなく、挑戦する喜びがあり続ける世界。

そこに僕は向かい、共有し、世界に広げていきたい。

勝っても負けても、生き続けること。

成功しても失敗しても、生き続けること。

終わらない旅は、まだこれからだ」 by 栗城史多くん




このブログ見てくださってありがとうございます。

僕はあまりみなさんのブログにお伺いできませんが
申し訳ありません。

ブログ中心は、FACEBOOKにUPしてますので
友達申請してくださいね(笑)

今年もよろしくお願いします。

札幌じゅん先生こと 川根順史

「この子、やるなぁ~」  2年前のブログより抜粋。
こういう子たちが将来のリーダーになってくれるんだね?



シリーズインタビュー『路上の哲学』。100年に1度の不況と叫ばれる中、世の中では一体何が起きているのか。路(みち)の上から見える世の中や社会を、そこに立つ人の言葉を通して垣間見るインタビューです。


以前、『渋谷駅前で朝礼を行う会社』を紹介したところ、『新宿駅で毎朝チアリーディングをする女性』がいるという情報が寄せられた。記者は早速、新宿駅にその女性を捜しに出掛けた。平日の朝8時50分前後、駅西口の『思い出横丁』にほど近い、丸の内線の出入り口付近。確かにチアリーディングする一人の女性がいる。



札幌じゅん先生のPMAでいこう~!


早速インタビューをお願いした。実は以前ご紹介した、渋谷で朝礼をする株式会社情熱の水野社長とお知り合いということだった。


彼女は『ニッポンのビジネスマンを応援する』というテーマを掲げて、チアリーディングをする『全日本女子チア部☆』のサイトウアヤさんである


チアリーディングを始められた経緯とその想いを伺った。



1、新宿駅前でチアリーディングを始められたきっかけについて、教えて頂けますか?


きっかけはいろいろあるんですが、一番大きなきっかけになったのは、水野社長との出会いです。6月に水野社長が『1500人で夢を叫ぶ』というイベントを開催された時に、毎朝立川の駅前で演説をしていました。私はその時、ビラ配りをお手伝いしたんです。毎朝の演説の結果、イベントは1500人近い動員を集め、大成功しました。水野社長の「自分の足で、誰もやっていないやり方で、人に情熱を伝える」その姿を目の当たりにして、私も「私らしい方法で何かを始めなければ」と思いました。そこで、その方法として思いついたのが、ダンスだったんです。


私は、『紫ベビードール』というダンスパフォーマンス集団に参加していて、活動を始めて7年になります。ダンスを観て頂いたお客さんに、「元気をもらったよ」「今日来て良かった、ありがとう」って、本当に幸せそうな笑顔で言ってもらえることがあります。そういう時、ちょっとはその人のお役に立てたかもって思うんです。


普段イベントに来て頂ける方は、エンターテイメントを愉しむ場を知ってると思うんですけど、会社と家の往復で、そういう愉しみを知らない人にこそ、エンターテイメントが必要なんじゃないかって気付いたんです。ダンスをすることが、私らしい方法じゃないかと思ったんです。それで、「日本のビジネスマンを応援するチアガールをやろう!」と閃きました。


やろうと思ったのは、このアイディアを閃いてから、結構早かったんですけど、なかなか行動に移せなかったんですよね。「警察に捕まるんじゃないか?」とか「どこで着替えたらいいんだろう?」とか「朝は眠いしなあ」「恥ずかしいし」とか、やらない理由ばかり考えていました。これではいけないと思い、このアイディアをあるビジネスコンペに企画として提出して、その時にプレゼンの席で「8月1日からやります!」と宣言しました。出来るかどうかは、分からなかったんですけど、とにかく始めてみようと思い、8月1日から始めて、今までやっています。



2、なぜビジネスマンを応援しているんですか?


自分らしい方法で、誰かの役に立ちたいんです。

私は以前、広告会社に勤めていました。新しいことを提案したくて広告のプランナーになったつもりだったんですが、上司に「そんなこと求めてない」と言われている内に、いつの間にか極力しゃべらないようにしている自分になっていました。私はダメ社員だったんです。今思えば、あの時もうちょっとだけ勇気を出して、「私、こう思うんです」「分からないから教えて下さい」とか言えていたら、ダメ社員なりにも、もうちょっと会社や社会の役に立てたんじゃないかと思うんです。伝えた方が自分にも周りにもメリットがあるのに、言葉にして言えなかった。行動で示すことが出来なかったんです。「言われたことだけやっていればいい」と言われて、反論さえ出来ない自分だったんです。伝えようという気力すら失っていました。



だから私は、今の活動で、やろうと思ってなかなか一歩を踏み出せない人の『勇気』や『元気』になれたらと思い、毎朝通勤途中のビジネスマンを応援しています


だって、はっきり言ってすごくバカバカしいじゃないですか。駅前で1人で応援してるって(笑)。ホント、捨て身です。でも、そんな私の姿を見て、あんな方法で挑戦してるヤツがいるって知ってもらえたら、見掛けた人が何かに踏み切る『勇気』になるんじゃないかと思っています。だから、このチア部は「バカバカしさ」を見せるエンターテイメントなんだと思っています。「バカバカしさ」で見る人のお役に立ちたいです。


3、チアリーディングをしていて遭遇した特別な経験はありますか?

続けていると、結構毎回観に来てくれる方とかいらっしゃいます。夏に始めたんですけど、いつもニコニコして観てくれているおじさんがいたんですね。夏はシャツを着て、いつも気楽な格好をしていらっしゃる方だったんですけど、秋になったある日、バシッ!とスーツで現れたんです。その方、実はビルメンテナンスの会社の社長さんだったんですね。それでお声を掛けて頂いて、私の活動が面白いから何か一緒にやらないかと、お誘い頂いたんです。私、元々広告代理店に居たのもあって、何でも企画するのが大好きなんですけど、そのことをお伝えしたら、ショッピングモールのプランニングのお話を頂きました。


また、あるおじさんがいらっしゃって、いつも観に来て頂いていたんですけど、ある日、突然声を掛けられて「お付き合いしてください!」って真剣に言われました。お気持ちは嬉しかったんですけど、丁重にお断りさせて頂きました。あまりにも唐突でビックリしましたね。


4、活動をしていて、良かったと思うことは何ですか?

そうですね。ごく稀に物をもらうことがあるんですけど。初めて頂いたご祝儀がホームパイ2個でした(笑)。私より少し年上の女性が、「コレ、食べて」って手を握って渡してくれました。別の時には、女性から『夢あきらめないでね』と書かれたポチ袋でご祝儀をいただいたこともあります。


今まで、通行する方やご近所の方に、1度も怒られたことないんですよね。皆さん割と温かく接して頂いて。こんなに訳の分からない活動をしているのに、出逢う方々に温かく接して頂けることが有難いですね。やり始める前は、警察に捕まるんじゃないかと本気で心配していたのに(笑)。活動を続けられること自体が、良かったと思っています。


5、今後の活動の展望について教えてください

今はまだ1人ですが、今後はメンバーを増やして行きたいと思います。朝、会社に行く途中、働きに出掛けて行く全ての人に応援を贈るチアリーディングのチームが大勢居たら、きっと仕事に出掛けるのも楽しくなると思います。少しずつメンバーが増えて行けばいいなって思っています。ひょっとしたら1年後も1人かも知れません。でも、それでもいいんです。私は『全日本女子チア部☆』の活動を続けて、明日の日本を元気にしたいと願っています。


記者が取材している間に、通りすがりのおばちゃんが、記者を関係者と勘違いして声を掛けて来た。「あの子、今日もいるね。しばらく観なかったから、心配しちゃった」。サイトウさんが捻挫でお休みしている間にも、チア部の応援を楽しみにしている人が、ここにもいた。何百、何千という数の人が、朝の新宿駅を素通りして行くが、『全日本女子チア部☆』の活動に元気をもらっている人は少なくないようだ。


素晴らしい女性ですね・・・熱意を込めて・・・じゅん先生

「感謝」

僕のラジオも今年は四年目を迎えます。早いね。

色んなゲストに出演していただき長く続けられて来ました。

ありがとうございます。


そして色んなお話を聞かされ僕も触発されてきました。

司会進行役のVITA戸澤耕平店長も札幌の活躍される各業種の方とお会いして

色々学ぶべき事が多かったと思います。


頑張ってる方と毎週毎週お会いする事でモチベーションを保てれます。

本当にありがとうございます。

 さて、ファッション業界に身を置く人間はお洒落、もしくは自分スタイル、

こだわりを確立していな..ければならない。


人は誰もが美しくなりたいと願う。 

それにはその願望の強さが外見、内面に比例して現れてくるものだ。


人に、話す教える見せる。教える側のセンスが問われると思う。


カッコイイと思う人は努力をして向上心の高い人だ。


9日(水)のゲストは、カッコイイ女性が登場します。



ファッションスタイリストやアドバイス、モデル、企画をもこなす
バリバリ活躍中の南部佑子さんです
http://profile.ameba.jp/nanbihime0502/

札幌じゅん先生のPMAでいこう~!

タメになる話しが聞けるはず。
南部さんのお仲間の古池由美子さん、小林恵美さんも登場!

今年最初の「じゅん先生のPMAでいこう」
1月9日(水) 21時~22時

世界中で生動画ユーストリーム見れます    
http://www.ustream.tv/recorded/18518725
世界中でインターネットでも
  
http://www.830.fm/
iPhone&スマートフォンでも 
  
http://tunein.com/
札幌の人はラジオWITH-S FM 83.0
☆再放送は音声のみ☆金曜23時~ 日曜21時~

今年もどうぞよろしくお願いします。
熱意を込めて…じゅん先生