「この広い宇宙で、私たちは独りぼっちではない。宇宙は地球人だけでは広すぎる」
ここ2年ぐらい、15年くらい前に観たあの映画なんだっけかなぁ~と思い出せずにいた。
それがつい先日、ひょんなことからJUJU(小宮ベーカー純子さん)と話してる時、宇宙の話しになり、僕が「う~んと~宇宙から電波が届き、宇宙船で旅した時、亡くなったお父さんと…」ここまで話したらJUJUが
「あっ、コンタクトね」といとも簡単に教えてくれた。
な、なんですぐわかったんだろう?
科学、宗教、愛などのテーマ以外に、人間がこの世に感じている閉塞感的な孤独を癒してくれるコンタクトはお勧めの映画だ。今度DVD借りてこよっと…皆も観てみたら?
さて、あらすじはこんな感じです
「コンタクト」
地球外の知的生命体と接触した女性の姿を描くSF超大作。
科学と宗教、頭脳と心、ヒロインの心の成長、恋人たちの物語などさまざまな要素を盛り込んだ多面的な物語の構造が魅力。96年に他界した宇宙科学者カール・セイガンの同名小説。
電波天文学者のエリーは、砂漠の電波天文台で観測中に、恒星ヴェガ付近から地球に向けて電波信号が発せられているのに気づく。
彼女は物心ついた時から常に、「なぜ私たちはここにいるのか。私たちは何者なのか」という疑問の答えを求めていた。
最愛の父テッドが亡くなった後、エリーは科学に没頭する。
彼女は地球外生命体からのメッセージの探究をテーマに選び、大多数の科学者からの嘲笑や成功の確率の圧倒的な低さにも関わらず、何年も宇宙からの電波の観測を続けていた。
そして、とうとうメッセージは届いた
エリーが送られてくる電波信号を数字に変換すると、どこまでも続く素数の羅列になった。これは、素数を理解するまでの水準に達した生物の住む惑星を探すため、何らかの知的存在が発したメッセージに違いない。
信号は単に素数を表しているだけでなく、複数の読み取り方ができることがわかった。さらに世界中の国々が協力して解読を進めるうちに、驚くべき事実が判明。
このメッセージには、乗員を宇宙へ運ぶことのできる宇宙間移動装置=ポッドの設計図が含まれていたのだ。
新時代の幕開けかハルマゲドンの到来か、世界中を巻き込んだ騒ぎが続き、この装置を建造するか否かについても論争が巻き起こる。最初にメッセージを発見し、その後も解読の中心となってきたエリーだったが、彼女の功績を妬む科学者ドラムリンによって、科学調査班のリーダーの地位に果たして彼女が適任かどうかを巡る争いが起こった。
そんな中、彼女は国際的な影響力を持つ宗教学者で、合衆国政府の宗教顧問でもあるパーマー・ジョスに援護を求めた。2人は、かつて愛し合った仲だったが、仕事第一のエリーのせいで、彼らの恋は短命に終わっていた。
宇宙に目を向けてきた科学者と、人間の内面に深く分け入ろうとする宗教学者、まったく異なる信念を持って生きてきた2人だが、メッセージを理解しようとする共通の情熱から新しい絆で結ばれ、改めて愛し合うようになる。
ポッドの建造が決定し、ただ1人の乗員の志願が始まった。エリーも志願するが、査問会はドラムリンを選んだ。
だが、ポッドの運転テストの当日、テロリストが爆弾を爆発させて装置は破壊され、ドラムリンも死んだ。
悲嘆にくれるエリーに、以前から彼女の能力を高く買って資金援助を続けていた謎の資産家ハデンが、装置はもう一基、北海道に建造されている、と明かす。
エリーはポッドに乗り込み、巨大なマシンが動き始めた。強いエネルギー界にポッドが落とされた瞬間、めくるめく光のチューブ=ワームホールを抜けて時空間を移動する。
そこは言葉にできないほど美しい空間だった。一面に広がる青い海と白い砂浜に降り立った彼女の前に、死んだはずの父テッドが現れた。
これは、彼女の意識を読み取った知的生命体がテッドの姿を借りたのだった。
生命体は「これは人類にとって第一歩だ」と言い、エリーは「この広い宇宙で、私たちは独りぼっちではない」と初めて実感する。
彼女が次に気づいた時はベッドの上だった。彼女は国防庁長官キッツや大統領補佐官レイチェルから、実験は失敗し、あの体験は幻覚ではないかと告げられる。
調査会議が開かれ、エリーは激しい批判にさらされたが、彼女は毅然として自分が体験したことを信じていると主張し、多くの人々から温かく迎えられる。
再び電波観測の任に就いた彼女は、砂漠の真ん中であの体験に思いを馳せる。
またこんな感想文もあった。
映画「コンタクト」は先日他界したカール・セーガンが原作の SF 作品である。
最近のハリウッドの宇宙人ブームの中で作られた映画の中では出色の出来だ。
ジョディー・フォスター演じる、天文学者エリーのほとんど狂気じみた信念と学者魂が強烈に輝いている。
この映画は始まり方が大変素晴らしい。地球の電波が宇宙に広がり何者かに聞き取られるのを予想させるかのような、果てしないパンで地球から出発した視界は、太陽系を離れ、銀河系を離れ、銀河団を離れ、そして数千万の銀河を含む宇宙全体を一望したその瞬間、宇宙の闇が少女の瞳の闇にとけ込むのだ。ハム無線に熱中するその少女こそ、エリーの少女時代なのである。
宇宙の彼方までも見通すかのような、その澄んだ瞳は秘められた才気を感じさせる。このオープニングは映画館の大画面で見てこそ意味がある。
電波望遠鏡で受信した謎の信号。それが地球外文明からの初の「応答」だった。実は地球からの初のテレビ電波を受信した地球外文明がその電波に別の情報を付け足して送り返してきたものだったのだ。
つまり人類は何者かに待たれていたのである。
送られてきた未知の装置の設計図に従い、巨大な機械が作成された。この機械は 1 人乗りの何らかの移動装置だ。誰を送るのか。ここで、この映画の最大のテーマである、人間と宗教、科学のかかわり合いが論じられる。果たして宗教とは人間にとって何なのか。
無宗教の日本人として、人々が真剣な態度で宗教と科学について論じるのには正直言って違和感があった。
エリーは生粋の科学者であり、論理的な冗長物である神の存在は認めない。地球外文明と対話するためには、数学という宇宙に普遍的な知識が必要であると主張する。
しかし最終的に、エリーの上司が選ばれてしまう。彼はエリーが無宗教であることを攻撃し、人間の文化としての神への畏敬の念を、人類の代表が持つべき特性だと主張したのだ。だが皮肉にも、彼は移動装置と共に、科学を否定する狂信者集団に爆殺されてしまう。
宗教は本当に必要なのか、
その答えをこの映画が準備しているわけではないが、宗教など必要ないと考える多くの日本人にとって、装置を爆破した狂信者集団こそが宗教の本質であるように見えるだろう。だが、話はそれで終わりはしない。
予備の移動装置に乗り組み、エリーはついに時空を越えた旅を経験する。それに耐える精神力の描写は綿密で十分長く、緊迫感がある。ワームホールの描写も美しい。
そして最後に着くのはなぜか子供の頃に空想したペンサコラ(フロリダの町の名)だ。そして近づいてくるのは心臓発作で死んだはずのエリーの父親である。
科学者であるエリーは、それが別の文明を持つ生命体が姿を変えて現れたものであるとすぐに悟る。その高度な存在が地球人を見る目は、穏やかで優しい。彼らは何十億年もそうやって暮らしてきたのだ。
だがエリーが再び気が付くと、地球に戻っており、しかも地球では全く時間が経過していなかった。エリーは別の文明に接触したという証拠を示すことができないため、人々から信用されない。
だがエリーはそれでもなお、自分の経験を主張するしかなかった。彼女の心(彼女の存在と言っても良い)が、その体験を否定することを許さなかったからだ。
それはまさに、神と会ったと主張する宗教家と同じだ。
科学が最終的に宗教に戻ってきてしまったのだ。
エリーが会った存在を、神と呼んではならない理由はあるのだろうか?
人間は、人間をはるかに越える存在を果たして語ることができるのだろうか?
神は存在するのだろうか。
もし存在するなら、神とは何なのだろうか。恐らくキリスト教文化の人間ならばこれらの問いを一度は考えたことがあるのだろう。
一方、無宗教と言われる日本人は、考え抜いた末の確信を持って神はいないと言っている人は多くない。この真理に対する真摯さの差が、社会の規範が崩壊した現代社会でいかに個人が規範を持つかという点において、日本人が欧米人に及ばない原因の一つかもしれない。
いかがわしい新興宗教は欧米にも日本にもあるが、日本は伝統的宗教が新興宗教と同じ程度の影響力しか持っていないという点が大きく異なる。
そのため、星占いや血液型占いを含めて、かえって日本人はうさん臭い非科学的思想の餌食になりやすくなっている。
「コンタクト」で印象的なのは、エリーがエリーの父親の姿をした高度な存在を即座に見破るシーンである。その高度な存在は、外見に惑わされないエリーの科学者としての態度を誉めるのだ。
だがエリー自身は、地球に帰還したときに科学者ゆえにこの遭遇を説明することができない。証拠がないからだ。
だがエリーは科学者としての良心を最後まで失うことはない。人間として、神の存在を信じることは本能なのかも知れない。だが、分からないものをただ受け入れる無批判の精神が、最も批判されるべきものなのだ。
未知の物に対して常に、自分の体験に対してすら、批判的に接することを怠らないエリーは、だからこそ格好がよいのである。
あーーーまた観たくなった。(笑)
あなかしこ~あなかしこ~。