樫木式不老軸トレの本の中でご紹介しています
2回の乳がんを患い私と出会った時の2度目の乳がんは
進行性の早い乳がんで抗がん剤治療そして乳房再建手術
を。その時の軌跡をaiちゃんがたくさん書いてくれて
本書では全てご紹介出来なかったのでブログに
残します。

私は2度も乳がんを告知され手術を受けたサバイバーです。
2度目の告知を受けた2018年の秋、横になって何気なく胸の上に置いた手に小さな固いしこりが触れました。
スタジオCに通い始めて2年が経過し
元気に迎えた62歳の誕生日から数日後のことです。
念のため検査を受けたところ、既に浸潤している進行性の早期乳がんで、最終的にHER2陽性ステージ1と診断されました。
遡ること12年前、2006年に告知を受けた非浸潤がんと違い、とてもタチが悪いと恐れられていたタイプの乳がんでしたが、幸い今は良い薬があるとのこと。
出来れば避けたかった「抗がん剤治療」を渋々受けることになりました。手術前に4回投与し、効果が確認出来れば、術後もトータルで1年の標準治療を継続するというものです。
 
もちろんショックでした。まさに青天の霹靂!それでも落ち着いて受け止めることが出来たのは、当時も今も心の拠り所であるスタジオCの存在が大きかったと思います。
 
スタジオCとの出会いは、アクセスが良く会員制ではないスポーツ施設を探していた時です。
肉親を亡くした悲しみから逃れるために
何か新しいことを始めてみたいという気持ちからでした。
樫木先生のご活躍やカーヴィーについては何も知りませんでした。
何度か楽しく通ううちに心が軽くなり、いつの間にか
身体も楽になり、それまで週1回通っていたエアロビ教室は辞めてしまいました。
そして1年もしないうちにライフワークにしたいとまで
公言するほどカーヴィーに嵌ってしまったのです。
 
ですから、果たして抗がん剤治療とスタジオレッスンの両立は可能なのかどうかが一番の気がかりでした。
早速調べてみたところ、化学療法の副作用を軽減し治療効果を高め完了率が上昇するなどの運動効果のほか、治療後も生涯にわたって有酸素運動、筋トレ、ストレッチなどの運動習慣を続けることが推奨されること、手術や治療の後遺症も運動で改善される可能性があることなどが分かりました。
カーヴィーは推奨されている運動要素の全てを補います。レッスンを中断することなく続けることが出来るなら不幸中の幸いです。
主治医にも相談し、自分で体調を見ながら続けるよう
アドバイスされました。

人生初となる抗がん剤投与の朝は健康カーヴィー(DVD)で身体をほぐし、ドキドキしながらも落ち着いて
点滴の管に繋がれることが出来ました。
恐れていた吐き気や発熱その他の副作用は出現せずに、良い意味での肩透かし。
その後も特に副作用は出ないまま、ストレッチを中心に自宅で身体を動かし続けて3日目のことです。
レッスンのキャンセルが出たというご連絡をいただき、急遽参加することにしました。
いつもと変わらず自転車でスタジオへ向かう私は幸せそのもの。
身体をほぐし動かし走って、全く体力の衰えを感じることもなく、まるで何事もなかったかのような自身の身体に感激し、90分超のレッスン終了後には温かい拍手に包まれて胸がいっぱいになりました。
 
その後、脱毛や皮膚トラブルなどの副作用は出たものの、先生のご厚意で、以前にも増して頻繁にレッスンに参加させていただくことになり
「実は抗がん剤という名のビタミン剤投与なんじゃない?」などと、からかわれるほど元気いっぱい。
治療を終えたその足で自転車をこいでスタジオへ直行しレッスンを受けたことなど、今となっては良い思い出です。
目には見えないものの抗がん剤によって白血球が減り抵抗力が弱まるため、まだ新型コロナウィルスは出現していませんでしたが、マスクをしてグループレッスンを受け続けました。今でもマスク姿でレッスンに参加するのは、この頃からの習慣であるとも言えます。
 
こうしてカーヴィーでリフレッシュし、
明るく前向きな気持ちを保ちながら順調に4回の治療を
終えた後、予定どおり実施された術前検査で、なんと癌は消失。
ただし画像診断で消えたように見えて実は残っていることもあるとのこと。
急ぐ必要がないという理由から、5回目の治療後に
手術を受けることになりました。
そして術後の確定診断でも癌細胞の遺残は確認されず
完全奏効という結果が出たのです。
術前化学療法によって癌が完全に消失するケースが少なからずあると聞いてはいましたが、先生、庭山さん、赤江さんをはじめスタジオ仲間の皆さんが自分のことのように喜んでくださり、喜びが2倍にも3倍にも
膨れ上がりました。

何より嬉しく、我ながら驚かされたのは手術後の身体の状態です。
 
入院前夜はグループレッスンで身体を整え、
入院後も翌朝の手術直前まで病室の空きスペースや
ベッドの上で身体を動かし、万全のコンディションで
手術室へ向かいました。
歩いて行ったのですが、歩きながらも、そして手術室から看護師さんが迎えに来てくださる場所で立って
待っている間も、常に樫木メソッドを意識していたものです。
無事に手術が終わり、麻酔が切れて病室で目覚めた時には大した痛みを感じることもなく、余裕の笑顔で応じた私に主治医もびっくり。
翌朝は点滴を引きながらではありましたが
ふらつきもないので単独歩行が許可され
もう既にスタジオレッスンにも行けそうな気分でした。
 
後で聞いたところでは、手術翌日には既に退院目安の排液量になっていて傷も綺麗だったそうです。
 
シャンプー時の前屈みの姿勢が辛かった12年前とは
違い、スタジオCで身につけた腰(脚の付け根)をしっかり引いて余計な力を入れない姿勢を保っていたので、看護師さんにシャンプーしていただく間も
とても気持ちよくリラックスできました。
 
術後4日で退院するまで、毎日カーヴィーで身体を整え
リハビリに励み、新たに増築された病棟内をスタッフよりも詳しくなるほどよく歩き、ほとんどベッドにいないと笑われ、半ば呆れられていたことと思います。
病室に置いてあったパンフレットのリハビリ体操ではなく、スタジオレッスンで教わっていたアームスの動作を繰り返し復習し、退院時に腕を真っ直ぐに上げて見せて主治医を感心させたものです。

「適度な運動は闘病中のQOLを高め合併症を防いで後遺症を軽減する」などと勧められても、
運動習慣の無い方は実際何をしたら良いのか戸惑ってしまうかもしれません。
 
つくづくカーヴィーを実践していて良かったと思います。私は樫木先生のご指導で、身体に問いかけ理解し
丁寧に動かすことを学んでいたので、適切な運動を
無理なく楽しみながら続けることが出来ました。
 
最初の乳がん発症時もエアロビその他の運動を楽しんではいましたが、インストラクターの動きを真似るだけで、姿勢や動作を正されることはなく、身体のパーツや動作の角度などを意識することもありませんでした。
スタジオCに通うようになって分かったことですが、
当時は悪い癖のまま力まかせに動いていたために
関節を痛め身体の方向がずれて支障が出ていたようです。痛みを和らげるために整体に通い、時には整形外科を受診することが当たり前のような日常でした。
 

そんな歪んだ身体のまま手術に臨んだわけですから
麻酔が切れた頃には傷口だけでなく腰や背中がひどく痛み、我慢できずに夜中までナースコールを押し続け、
悪夢にうなされていたことを覚えています。
当時から術後の運動は予後が良いと知っていたので、
術後1ヶ月からエアロビを再開しましたが、いつまでも傷の存在を意識させられることになり、特に梅雨時などは傷跡が疼いたものです。

2度目の乳がん発症後は、退院してからも
カーヴィーのDVDを見ながら日々リハビリに励みました。

そして退院4日目(術後8日目)には自信満々で
職場復帰を果たし、その前日には自転車で往復8キロ、
途中のキツイ坂にもめげず一人で買い物に出掛けています。
退院祝いにお花を届けてくれた同僚たちへのお返しを
購入するため、慌ててお気に入りの店へ向かったのでした。
12年前の職場復帰が、不安を抱えながらの術後3
週間余りであったのとは大きな違いです。
 
無理だとか動けないとかネガティブな思いを脳に
インプットしてしまうと本当に動けなくなるという、
脳と身体の関係は日ごろから樫木先生がおっしゃっていることですが、まさにその通りでした。

病院の先生方からも動かしてよい、むしろ動かした方がよいと言われていたこともあり、違和感があっても
信頼する樫木メソッドでリハビリを続け体力UPし、
周りの心配をよそにみるみる回復していきました。
 
退院後初めての検診で全く問題がなく運動も可能と言われたことを報告したところ、早速レッスンに参加させていただき、術後2週間弱でスタジオ復帰も果たしました。

日記を読み返すと「基礎カーヴィームーヴメントだったので、手足の力の抜き方、自分の可動域にあった動き、足のスタンス、体の引き上げ、腹筋、引っ張り合う動作等々、じっくり確認しながら、あっという間の至福の
90分でした。軽い走りもあったけど筋力の衰えを感じることなく、我ながら満足のいく復帰を遂げられたと思います。」とありました。
 
それから半年ほどして乳房再建手術を受けたわけですが、入院はせずに日帰り手術。
仕事を1週間休んで、家事をこなしながら自宅で
療養しました。
体内に異物を入れる手術ですから痛いのなんの。
特に横になる時や起き上がる時には激痛が走ります。
それでも、覚悟していたほどの痛みではなかったと言えたのは、身体の声に耳を傾けて少しずつ角度を調整し
確認しながら動けたからだと思います。
ここでも樫木メソッドのお世話になりました。

正しいボディーメイキングに導いてくださった樫木先生には言葉では言い尽くせないほど感謝の気持ちでいっぱいです。
身体だけではありません。
乳がん告知当日のレッスン後に報告した時から
術後の標準治療が終わるまで、闘病中ずっと、初回抗がん剤投与の日、その後の治療や検査の日、入院手術前後、退院前後、治療終了の日と、何かにつけて、
お忙しい中、あたたかいメッセージで励まし共に喜び支え続けてくださいました。
脱毛してウィッグを購入する必要が生じた時は、
女性だけのダンスユニット「Regina」時代に先生が着用なさった大切なウィッグを譲ってくださいました。
毛が抜けてしまった私に「こんなにスキンヘッドが似合う人はいないよ」などと褒めて勇気づけてくださいました。
人が嫌がりそうなことや辛そうなことを
プラスに変えてしまう天性の特技をお持ちなのかもしれません。
翌日にRegina復活ステージ本番を控えながらも、
私が安心して手術に臨めるようメッセージを送ってくださいました。
家族や同僚を差し置いて真っ先に手術成功の報告をしたことは言うまでもありません。
折り返し「これで心置きなくステージに集中できる」と喜びの返信をくださいました。

スタジオに通っていらっしゃる方々やSNSで先生をフォローしていらっしゃる見知らぬ方々からも温かいメッセージやコメントでパワーをいただき、一度も落ち込んだりすることなく今日まで元気に過ごして来ることが出来きました。
実は癌サバイバーであることなど忘れてしまうこともあり、申し訳ないほど全く辛い思いをすることもなく
記憶を辿るのに苦労してしまうほどです。
 
複数の原発乳がんを発症している場合、遺伝性のがんである可能性も否定できません。
検査は受けていないので不明ですが、遺伝性だとすると、将来的に卵巣がんを発症する恐れもあります。
それを不安に感じることもない私は「強い」と言われますが、多くのリハビリの方を助けていらした樫木先生に守られているという安心感のお陰です。
信頼できるメソッドがあり、心から楽しめるカーヴィーがある。楽になった身体を維持するだけでなく、さらに進化させて、免疫力を上げていく。
「将来をみすえた身体づくり」をこれからも楽しく実践し続けていこうと思います。
それにしても、もっと若いころに出会いたかったというのが本音ではありますが “Better Late than Never!” 還暦の年からカーヴィーを始めた私でも、身体の痛みが消え機能が向上したことで人生大きく変わりました。
大病を経験しなかったとしても、樫木先生が大恩人であることに変わりありません。