孫は目の中に入れても痛くないということわざがあります。


どんな感じかな?と常々思っていました。

先輩のじぃじ、ばぁば達に尋ねたことがありました。

無条件に可愛いという返事ニコニコ



いや、痛いわよー歩くと、
いかに子守が大変だったかハイハイを、力説するばあば👵もおりましたがあせる


 
腕の中にいるこの不思議な存在にっこり

お腹は、痛めてないうさぎのぬいぐるみ歩くけれど、   
お腹を痛めた娘🎀の立ち上がる子供うさぎのぬいぐるみ


この娘によく似たハイハイベイビーを抱っこしても、
娘だとしたら?とイメージしても、


すでに、身も心もばあばとなった身では、当時の子育て中の感覚は、思い出せないうーん


孫は孫花
なんと表現したら、孫の感覚を自分自身が納得できるのだろうはてなマーク


怒り怒りおねだりおねだり思ったりしながら、子守させてもらっております。


で、孫👶に携わり感じたこと


無条件に可愛い目がハートとかは、自分の子供もそうだったので
特にはてなマークって感じですが

圧倒的に違う感覚があります。


自分の子供の子育ての時は、ずっと先のその先の未来に意識のベクトル向かっていた☝️


這えば歩めの親心

常に一歩先👩‍🎓に。

一歩どころか成人になるまで意識は遥か彼方にあったように思います。




が、孫は違う

孫と過ごす時間は、
今ここ看板持ちのみ

スピリチュアルや自己啓発や
いろんな本に書かれていた、
今ここに生きるという感覚



孫と過ごすゆとりの時間は、子育てを終えたご褒美の時間なのだろうか

本来のあり方のような気がしています。



育児本に書かれていた

泣いたら手を止めて、心に寄り添う

ってことが、当時はなかなか出来なかった。



ついつい目の前の用事をこなすのに、手がいっぱいで
あとでびっくりマークってなっていたように思います。




常に時間に追われて、早く!早く!
焦っていたように思います。



思うようにならないとイライラして物申す当たったりと。



子供が高校生くらいになるとそんな親だったことをとても反省したりしたのを思いだします。



愛しい、愛してる

って感覚が子供だとしたら、

孫は可愛い、大好き

って感じはてなマーク

とか自問自答しながら、ハイハイちゃんのおそろしく早い成長に目を細めたり驚いたりの日々を送っております。