新坂

 

 上野公園から山手線を跨ぎ根岸に至る坂を「新坂」という。明治時代に造られた比較的新しい坂で、少なくとも明治11年(1878)には存在していたらしい。坂の途中に鶯谷駅が造られたのは明治20年頃のことである。
 その坂下に、かつて「伊香保楼」という料亭があり、群馬の伊香保温泉から鉱泉を取り寄せて伊香保温泉の支店として営業していたという。かなり大規模な料亭だったようで森鴎外や幸田露伴ら多くの著名人がここで遊んだとの記録も残されている。

 

伊香保楼跡付近(台東区根岸1丁目2-22 三井リパーク鶯谷駅前第2駐車場)

 

 囲碁界においては明治大正期に、度々「伊香保楼」を会場とした囲碁の対局が行われ棋譜が残されているほか、囲碁が関わるイベントも行われている。
 明治40年(1907)、後に田村保寿(本因坊秀哉)と本因坊の座を争う雁金準一が六段に昇段し、伊香保楼にて披露会が行われている。披露会ではかつて書生として仕えていた伊藤博文公から詩章を添えた扇面が贈られたと記録されている。
 明治42年(1909)には中川千治(二代目中川亀三郎)主宰により岩佐銈、野沢竹朝ら十数人が参加した「囲碁同志会」が発会し、その発会式が「伊香保楼」で行われている。(三年後に中川が方円社社長へ就任して解散)
 その他、大正3年(1914)、岩佐銈(最後の方円社社長)の六段昇級披露会の開催。大正5年(1916)、内垣末吉(六段)が引退して満州へ移住することになったため、坊社合同の送別会を開催。大正6年(1917)には瀬越憲作五段昇級披露会が開催されるなど、様々な出来事がここで繰り広げられてきた。
 「伊香保楼」のあった場所について色々調べてみると、古い資料に鶯谷駅ホームぎわからスター東京側、藤田などホテル街一円一帯で、敷地3,000坪、木造3階建て、建坪500坪とあった。「スター東京」とは昔あったキャバレーで現存していない。現在のホテルシャーウッド(根岸一丁目)の隣りにある駐車場(三井リパーク)のあたりがその跡地だそうだ。

 

【住所】