道頓堀

 

安井道頓道ト紀功碑

 

 9月14日、プロ野球阪神タイガースが18年ぶりにセ・リーグ制覇を果し、大阪・ミナミの道頓堀川に架かる戎橋周辺では大勢が押し寄せ、警察が中止を呼び掛ける中で二十数名が堀川へ飛び込み騒動となった。前回、2003年星野阪神の優勝時には戎橋から約5300人がダイブするなど何かと話題となる道頓堀周辺は、カニ道楽やグリコの看板などで有名な大阪・ミナミの代表的な繁華街である。
 道頓堀の名は、慶長17年(1612)に私財を投じて川を開削した安井道頓の名前に由来している。安井家は源氏の畠山氏の流れを汲む河内国久宝寺城の城主であったが、織田信長に協力していたため石山本願寺に攻められ落城。道頓は父とともに豊臣秀吉に仕えている。大阪城の外堀工事での功績を認められ大阪の都市開発のために城南に掘をつくる工事に取り掛かるが、大坂夏の陣が起こると道頓は恩義ある豊臣家に味方して大阪城へ入城し戦死している。
 その後、工事は従兄弟の安井道卜らが引き継ぎ完成、大阪城代の松平忠明により道頓の功績を称えて「道頓堀」と名付けられる。
 なお、江戸時代に幕府に仕えた囲碁家元の一つ、安井家の初代・安井算哲は安井道卜の甥である。

 大坂の陣で敵対した安井家がこのように讃えられているのは碁打ちとして幕府に仕えた算哲や、その子で初代天文方の渋川春海(二代目安井算哲)の存在が大きいのかもしれない。
 渋川春海は、安井九兵衛家(安井道卜家)に聞き取りを行い安井家の家系図を作っているが、そこに道頓の名は記載されていない。ただ、道トは道頓の従兄弟という記録も残されている事から、現在では養子か、安井家の娘が嫁いだ先の縁者ではないかというのが有力な説となっている。
 江戸時代、道頓堀の南側には大坂中の芝居小屋が集められ日本有数の芝居の本場として発展していき、大阪を代表する繁華街となっていく。
 現在、道頓堀川に架かる日本橋北詰には道頓と道トを顕彰する「安井道頓道ト紀功碑」が建立されている。石材は大阪城築城のために運ばれた残念石が使われ、碑が建っている場所は道卜が幕府から拝領し子孫が暮らしていた邸宅跡である。

 

【住所】