仁王像を賭けた囲碁の勝負 日荷上人 | 囲碁史人名録

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日荷上人の絵馬(延壽寺・東京谷中)

 

 横浜市金沢区六浦にある「上行寺」は、日祐開山、六浦妙法開基の日蓮宗寺院である。六浦妙法は日荷上人と呼ばれ、仁王像を賭けて囲碁の勝負をしたという伝説がある人物である。
 上行寺はもとは金勝寺と言う真言宗の寺であったが、建長6年(1254)に同寺を祈願寺とする下総若宮の領主富木胤継が、たまたま房総から海路鎌倉を目指していた日蓮と船で乗り合わせ、仏法について語り合い帰依したことから、日蓮宗に改宗し「上行寺」と名を改めたという。
 開基の日荷上人は六浦平次郎という六浦湊を支配する豪商であったが、開山の日祐上人に帰依し、自宅を寄進して寺院とすると共に、出家して六浦妙法と名乗っている。
 ある日、六浦妙法の夢枕に、金沢文庫で有名な真言宗の称名寺にある仁王尊が立ち、「われは称名寺の仁王だが、改宗して身延山の守護神になりたい。おまえの力でなんとか身延山に送り届けてほしい」と日蓮宗総本山身延山へ運ぶよう告げる。
 さっそく六浦妙法は称名寺の住職に掛け合うが当然断られ、住職が囲碁好きなのを聞き、仁王尊を賭けて囲碁の勝負を挑んだという。激戦の末、六浦妙法が勝利するが、住職は「あれは冗談だ。それにあんな大きなものを運び出せる分けがない」と相手にしなかった。そこで六浦妙法はある夜、二体の仁王尊を背負って運び出し三日三晩かけて身延山久遠寺まで運んだと言われている。
 身延山久遠寺では六浦妙法の功績に対し日荷上人という尊称を贈っている。「日」はもちろん、日蓮宗の開祖である日蓮大聖人からであり、「荷」には「荷物」の他に、「任務」や「責任」といった意味があるという。なお、久遠寺にはいくつか日荷上人が奉納したという像が残っているが、どれが伝説の仁王像か分からないそうだ。
 重い仁王像を運んだという伝説から日荷上人は健脚の神様として信仰され、身延山久遠寺のほか上行寺、東京谷中の延壽寺(日荷堂)など各地の日蓮宗寺院に祀られている。日荷上人を祀る寺院には長旅が無事に終わるようにとわらじが奉納される風習が残されているという。