本因坊丈和の四男 葛野藤四郎 | 囲碁史人名録

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葛野藤四郎の墓

 

遊戯の戒名

 

墓石の側面

 

 巣鴨の本妙寺にある本因坊家の墓所に、戒名に「遊戯」の文字が使われている墓石がある。
 十二世本因坊丈和の四男、葛野藤四郎の墓で、戒名は「常得院遊戯信士」である。
 藤四郎の詳しい経歴は分からないが「遊戯」の文字が使われていることから判断すると兄達と同じで囲碁棋士であったと考えられる。
 藤四郎が亡くなったのは安政5年9月5日(1858年10月11日)とある。
 位号に「信士」が使われていることから亡くなった時の年齢は15歳以上であり、三男の中川亀三郎が生まれたのは天保8年(1837)であることから、藤四郎は二十歳に達したかどうかという若い頃に亡くなった事が分かる。そのため、碁打ちとしてはあまり知られる存在ではなかったのであろう。
 余談であるが、藤四郎が亡くなった安政5年9月と言えば、尊王攘夷派である梅田雲浜・橋本左内らが捕縛され安政の大獄が始まった時期でもある。
 藤四郎の墓には「持圓院妙開日運信女」と刻まれた戒名もあるが、こちらは十世本因坊烈元の妻の戒名である。

 

【囲碁史紀行】 本妙寺 本因坊家墓所