ちょっとね、毎日過ごしていると
ビックリしたり
普通に生きていた人が子供と一緒に過ごす事で
自分が発達障害だったという事に気が付いた時に
職場では少々のカミングアウトしていていも
仕事でアスペルガーに働いていると
↑アスペルガーが向いている職業と出会う他人よりも勝る
障害者社会って・・・結構残酷なんだなという事に
出会ってしまうのですよ。
無理もないが、健常者社会という者は
まだまだ・・・っていうか、当然無理解。
だけど、人間らしく生きている為に
その職場が向いているのならば快適へと変わるのです。
ある時に頑張っていても、
そこで精神面的にとか、コミュニティ的にヘタレこむと
大抵の職場の人間というのは安心へと変わるのです。
よかった・・・お前、人間なんだなと。
不得意分野に理解を勧めようとするのです。
しかし・・・・これが障害者社会となるとどうなると思う?
得意な場面でも不得意な場面でも
出来ない所に理由を突き止めようとしたり
そこに向き合おうとするのですよ。
向き合わなくてもいい場所で。
自分は臭い物にはふたをするのを許すのに
障害というレッテルがあると、それが許されない。
何が一番、出来ればいいのか。
大事なのはそこなのですよ。
それでかな、私も被害にあいました。
私はそれを他害者だらけの障害者社会としか思えない。
こういった世界にいる人達の、息子の困った点を
私は素直に聞いていいんだろうか・・・と。
普通社会に生きている人が障害を持った人の
困った点というのは、生活環境と社会環境での困った行動。
また、こうすればいいんじゃないかな?とか
これをつけ足そうかなという物は、結構シンプルなのです。
相手の原本を崩さなければという志向が無いから。
だけど、障害者社会になると困った点は
一般人と比べた上であり、あぶり出しになってしまうのです。
だから、相手の原本に「障害をどうするか?」という
ZEROからどころか、マイナスという掘り起こした上でのスタート。
もう・・・人格否定なにものでもない。
それに理解を示さない私はとても悪い人になるという。
これってどんなのよと。