私もそこが、一番気になるところでした。
子供が小さい頃は、いつもそんな事を
思っていました。
何を子供にしてあげれるのか。
小さい頃はそんな藁をも掴む勢いだった。
もちろん、否定しません。
健常発達の幼児期の英才教育には
種まきという言葉があります。
もちろん、種まきという物は、障害持った子供にも
必要になります。
ただ、一番ボタンの掛け違いをしてはならぬのは・・・
種まきという物は子供ではなく、親なのです。
障害持った子供の世界での「種まき」という存在。
それは、この世界委では「親への種まき」
つまり、親の育児への種まき。
子への教育ではなく
親への教育→親の勉強≒知識&常識
とはいっても・・・。
その種まきという親への教育。
気が狂いそうになるくらいに
量も多いし、幅広い。
時間どころか、いくらお金を使っても程遠い分厚いやつ。
私はこのブログに書くつもりありません。
っていうか、例えばね~って言う方がナンセンス。
そんなん、親の為の勉強で必要な物を語れるのなら
そういう人は信じなくていい。
もうね、書きます。
「障害を持った親が必要な物は
とくにないのです。」
ただ、寄り添って話半分に
子供の楽しい物や面白い物を教えてもらう。
師匠というのは、目の前にいる小さな存在。
つまり、発達の勉強を教えてくれる分厚い資料は
我が子でしかないのですわ。
なので、その我が子と一緒に付き合っていれば
その時必要な物や、大切な物や経験は
ぜーんぶ、子供が教えてくれるのですよ。
例えば、買い物の練習。
外で食べる練習。
公共の場に乗る練習。
エスカレーターやエレベーターの付き合い方。
食べる練習や食べた後の練習。
殆どが、積み重ねていくうちに
どこから始めようか、
次は何を見てみたいか?してみたいか。
我が子という師匠が教えてくれるのです。
なぜ、そこらの発達評論家よりも
何の勉強も資料も持ち歩かない子供が知っているのか。
それは、子供自身が自分の将来に前向きだから。
子供は、好きなものや興味ある物から
今持ってる以上の才を出そうとする。全力を尽くしたがる。
だから、次から次へと資料や課題を見つけたり
スモールステップで方法を大人へ
投げる事が出来るのですよね。
多分、発達資料というのは
そういう子供達からの経験で出来た物なんだろうなぁと
今では思います。
なので、肩を張らずに堂々と子供と遊びながら
生きていくのが一番。
頭が痛くなるほど、深刻になってしまうのならば
いっその事、発達障害の勉強を止めましょう。
これからも、私は我が子である師匠に
子育てについて教えてもらおうと思います。
成人近いけど。