数年前に、勝ち誇るコツとして

鈍感力を称える本があったけど

最近、改めてそう思う事があったのですよ。

 

よく行くお店でね、

人の入れ替えが多いのですよ。

 

昔、激込みスーパーの比較を

独学した事があったんだけど

その会社を見ていると・・・

やんわり湧いてくるのですよね、

いつもの好奇心が。

 

でさ、他の入れ替えが多い店と

比較してみていたの。

 

そこで、天秤にかけられたのは

・社の理解力

・社内のコミュニティ

 

ポツポツとあがるのは

・労務の充実

・お局や上司による圧

・社内のコミュニティ

・運営の充実

 

色々推理されていくと、

社の理解が深まると逆ハラスメントも

浮かび上がり、

社内のコミュニティが関心されると

やはり誰かの精神的というより

物理的な負担が必ずかかる。

 

それで、関係ないんだなぁ~と感じたのは

辞め癖がある人と、切替の強い人。

これに尽きる。

だから、周囲ではなく結局は本人次第なんだなぁと

気が付きました。

 

人はどこの会社にいようと

続けたくない時は必ずある。

そこで、続けるか辞めるかはやはり

その人次第なんだよね。

勿論、何等かの精神的な負担があり

辞めたくともやめられずに病んでいく人もいる。

 

 

そんな中で、残っている人達を色々観ていると

共通点がやっと見つかったのですよ。

 

それは、一昔前に騒がれた鈍感力という物を

自分で発掘できる人。

(誰もが鈍感力という優れた武器を

持っている訳ではない)

 

これを令和で変換すると

「適当に振る舞いが出来る人」

 

調子のよい人とか、

頭の良い人とか、

モニタリング能力がある無しではなく

 

「適当な人」

 

適当というと、高田純次が思い浮かぶと

思うのですがまさにその「適当」

 

こういう人って、上手く結局は残るんだね。

その適当という物は凄い物で、

適当が優れている人とたまたま居合わせる人は

幸運な物で、

適当に優れている人と同じ時期に働く人は

何故か長く続く人数が多いという事。

 

しかし適当ってのは、鈍感力を培うよりも

割と素質ってのが付き物なのですよね。

 

やはり、令和時代の鈍感力で生きてきた人達とは

また違った、荒野の時代を生き抜く為の武器とも

いえるかもしれないわ。

 

適当。

 

もしも、人事で悩んでいる人がいたら

その会社にいる人は「適当の風」を吹かせる。

 

拘りがある人が少数でもいると邪魔されて

しまうかもしれないけれど、

そこで新たに適当さをスパイスとするのが重要。

そこなんだよなぁ~。

 

また、働きたい人ってなかなか、

人が足りない会社にやってこない物なんだよね。