「うちの旦那はアスペルガー」

「大人の発達障害(アスペルガー)」

 

色んな本があり、

アスペルガーという存在が理解されるようには

なったと思うけど。

いつか私が息子の発達障害を勉強し始め

ASDという物が、自分だと気が付いた時に

突然に、今まで見えなかった光が見えて

楽になり気にせずカミングアウトした頃、

 

「ねぇ、アスペルガーって叫んだり怒るんでしょ?

あなたやっぱり、そうなっちゃうんだよね?」

って、同じ療育施設の親御さんから言われた時は

あの子は、苦労しそうだなぁ~と思ったのが深いわ。

 

やっぱり、理解ってのは大切なんだなぁ~と

思ってはいたんだけど、

やっぱり大人の発達障害はどこにでもいる。

 

・人よりも何かのきっかけからこだわり化する

・空気というよりも流れが見えず会話も遮る

・自分の話に熱が入ると周囲の話を遮ったり聞こえない

・集中力が短く周囲が目に入りすぎる

・拘りを持たないと落ち着く事が難しい

 

こういう人っているよね。

まぁ~普通の社会では発達障害という言葉に

好意的ではないので、

気が付いても顔に出さない様にしてるし

もしも私が、発達障害や他人の脳の使い方が

楽しくて勉強してた事は言えないわ。

 

だってさ、心がリトマス紙状態なんじゃなくて

私の興味がレントゲン状態なんだもの。

 

だけど、ほんと思ったのは

愛情形成っていうもの。

 

必ずしも、愛情形成ってのは親子関係だとは

あり得ないんだなぁと思ったわ。

私達親は、親子の愛情形成の話をよくされてきたけど

それは親という立場で、教えてもらってたからであり。

 

当事者であり、過去に振り返った私からみたら

愛情形成とは、

タングラムみたいなステンドガラスみたいな物で

様々な人間関係から編み出されたり

培ってきた愛情の色が、

一つの一枚画になってしまうのよ。

 

その絵が、最後にネロが横たわってた様な

死ぬ前にまた見たくなる様な見事な絵だったり

犯罪者が描いたようなシリアルキラーが描いたような絵

になったりもするのよね。

愛情形成ってのは、

あくまでも周囲と自分軸の引力なんだよね。

 

それがどうにかなってしまうと、

あんなになってしまうんだろうなぁ~と

大人の分かりやすい発達障害を見てると思うわ。

 

どう、偏屈になろうと

どう拘ろうと、偏ってようと、

認知が劣っていようと、

記憶力が強かろうと弱かろうと

最後は、愛情形成。そして、

周囲と自分の軸をどうバランス保つか。

 

親ってのは、鬼にでもならない限り長く生きれないので

社会の中でふんばる我が子を応援するかって

話になるんだなぁ~と、改めて思ったわ。