「ほら、言ったじゃない」
「だから、言ったでしょ」
という言葉は昭和時代の母親は鉄板で
その言葉かけを何とかしなさいと
母親達が逆に教育を受けたのが、平成時代。
んなの、昭和の母から育てられた親達は
そう言われたって、急には治らんわ。
どうすれば、この話術を使いこなせるのだろうか・・・
と、英才教育の有名校に
息子を通わせていた事があるんだけど
そこの色々な講座で覚えた事があったのですよね。
やっぱり、そこでは
「ほら言ったでしょ」
「だから言ったでしょ」
っていう教育が優しく丁寧にしてくれたんだけどね。
その先に、
「ほらほら・・・そうすると××するよ。」
「××になっても知らないよ?」
って、言葉かけについての教育を
親達にしていたの。
つまり、「予告」
私は、子供を見ている。
私は、子供に寄り添っている。
そういった心掛けの主体がある上に
行っているんだけど。
その時の親達への教育で受けた
教えってのは、
「子供は充分に罰を受けている」
というのを理解する事。
だったのですよ。
あっ!そうか!!!
既に、子供は罰を受けている。
そしたら、次に子供が欲しい言葉ってのは
だいたいだけど、分かる。
なので、その時に共感するならば
その共感する際に、
本人に気を触ってしまう様な行動を
せずに終わるんですよね。
よくある、共感の失敗っていうのは
こういう所にあったんだなぁ~と思った。
共感って、拘りの強い子になると
良い方向に行かない事が多くてね。
うちの子は、大変だった。
例えば、
子供が何かの物を掴み取ろうとする。
だけど、横着しているので
立ち上がって掴み取ろうとはしない。
謝って他の物が雪崩落ちて頭に何かの衝撃を
得た場合。
昭和の母「だから、立って取れって言ったでしょ」
平成の母「ほら、立ち上がって取らないと他の物が頭に落ちてくるよ」
令和の母「あれが欲しいんだね、上に何かあるから立ち上がってみてみよう」
※令和の母は、平成の母からの知識も得ている為
子供の誘導が若干手慣れている。
子供は、
「平気だよ~」と言い、横着して
頭の上に何かが落ちてきて衝撃を受けた。
こういった時、
母親はなんて声をかければ良いのだろうか。
んでも、
こいつは、今頭をぶつけて充分に天からの
充分な罰を受けている。
今更、母親から何を言われようが、
子供は親が何を思ってるかは
いつもの調子で分かり切っているし
母親からの忠告も分かっているからスルーしていた。
そんな時に、
「あー、アレ欲しいよね~」
って言ったら、火に油だ。
痛かったな、ナデナデ。
と、痛みを撫でて胡麻化した方が
こいつにとっては、今はベストな共感だ。
ってなる。
欲しかった物に対して、
ざんねーんって一緒に嘆いてしまった方が
この場合は、彼の興奮を抑えられる。
ってなるのです。
(子供とその欲しい物のランクによって変わる)
世の中、成功ばかりとは限らない。
むしろ、失敗の方が大きい。
失敗を心得ているから
下積みや練習への苦を、軽く迎えられるのであって。
まして、反抗期の子供は
成功を知っているので、
失敗に対して、小さい時よりも
心が壊れそうなのは当たり前の事になる。
つまり、彼らの取っての罰を受けやすくなるのです。
そもそも、
子供は親を飛び越える事しか考えない生き物でもある
っていう子供への敬意をどこか頭の隅に置いておかないと
やがて、子供は親の前で失敗をしなくなってしまうの。
ちょっと、幼児っぽい行動例になってしまったけど
反抗期の子供でも、あるあるの事なんだよね。
今朝、小さい子供がが転んでいて
若いお母さんが子供へ話しかけていて
子供が中学生になっても、
この基本的な事は変わらないんだなぁ~と思った。
子供の脳に、
分からない物や初めての物、慣れない物
もしくは受け付けられない時に
場面が変えだったり新しい思考を提案しても、
耳は傾けてくれないわな。
反抗期の不器用な子供達ってのは大変ですが
大変な分だけ、
教えられる時期がタイムアップしているという事で
接する事が出来る機会でもあるのかな。
親に自分を苦労させた分だけ、
その分の償いではないけれど
お返しのつもりで、あの頃の親の熱意を
受け取ってみようかな。
反抗期の子供になってしまうと、
付き添う場所が無くなってしまうだけに、
親の見えない所で、こういった罰を受けてるんだなぁと思うと
少々生温いモードに入ってあげなければならないのかな。
って思いながら、
懐かしい先生の講座のお話を今日は覚書。