先週末に、スーさんの"Cerebration of Life"(故人を偲ぶ会、というのでしょうか)がスーさんの通っていた教会で行われました。残念ながら私は出席できなかったのですが、主人が家族の代表として出席してくれました。

スーさんの旅立ち前の数日は、お世話させて頂いたホスピスの患者さんが多々経験する"terminal agitation"(終期攪拌)が見られ、症状緩和にかなりの投薬が施されました。終期攪拌の原因は医学的に色々と説明されているのですが、私はそれ以外の要因が関係していると思っています。

スーさんはチャーリーさんと結婚して間もなく新居購入と合わせてチャーリーさんのご両親と同居することに同意。(これは金銭的な援助があり、家の一部はチャーリーさんのご両親が所有する、というアレンジでした。)やがてスーさんとチャーリーさんは3人の息子さんに恵まれますが、チャーリーさんのご両親は一切孫の面倒を見ることは無かったそうです。スーさんはアジア人で親の面倒を見るのは当たり前、という文化の中で育ってきたので同居に躊躇することは無かったそうですが、義両親が家事、子供の面倒に非協力的だったことがショックだった様子。チャーリーさんのお父様が5年前に他界されてからお母様の様子がおかしくなり、部屋からほとんど出てくることがなくなったそうです。ある日突然、チャーリーさんのお姉さまが手配した弁護士から手紙が届き、チャーリーさんとスーさんは老人虐待の容疑で訴えられることになります。それと同時に、家の所有権を剥奪するとの脅しも。その頃、スーさんの癌はかなり進行しており、スーさんはチャーリーさんに、”お願いだから離婚させて頂戴。こんなクレージーな家族と一緒にいるより一人で死んだ方がましだわ。”と言い放ったそうです。

また、スーさんが癌だと分かる数年前、チャーリーさんは不倫未遂なる行動を犯します。スーさんご本人がそのことを知っていたかは分かりません。私は主人からその話を聞いた際、”女性だったら第六感で(スーさんは)分かっていると思うよ”、と伝えた事を覚えています。

心理、精神的なトラウマが終期攪拌に影響していると思うのは私だけでしょうか?

スーさんは三男が急いで家にもどりスーさんの手を握った数秒後に息を引き取ったそうです。最愛の息子さん達がスーさんの心の支え、生きる力を与えてくれていたのでしょう。改めてご冥福をお祈りします。