
アメリカに来てあっという間に35年が過ぎました。
日本での生活年数よりアメリカ生活の方が長くなってしまいました。最近よくこのままアメリカで余生を送るのかと考えます。恐らく職業柄、毎日死に直面しているからでしょう。
ここ数年、夏になると日系マーケットで茗荷を見かけるようになりました。カリフォルニアの気候では到底茗荷を栽培することは困難なのでもちろん日本からの輸入品。2-3個入って20ドル近くととても手が出る値段ではないのでいつもあきらめていました。ところが先日、サンフランシスコ郊外のマーケットで3つ入りが6ドル程で売られていたので大喜びで購入。さっそくその晩、お刺身の薬味にしたり、お味噌汁の具にしたりと幸せな夕食となりました。
茗荷の香りは母方の祖母の事を思い出させてくれます。私の両親は富山県出身で、物心付いた頃から夏休みは毎年、祖父母の富山の家で過ごしていました。父の一番上のお兄さん(叔父)と母の一番上のお姉さん(伯母)が結婚しており、その間には二人の男の子(私の従兄弟に当たります)がいて、歳がはなれていたので夏の間は兄貴として色々な所へ連れて行ってくれたものです。
祖父母は旧家で大変な土地を所有しており、家の前には大きな畑があり季節様々な野菜や果物を育てていました。夕飯の準備のころの時間になると、祖母から畑にいってあれやこれやと採ってくるように頼まれたのも懐かしい思い出です。茗荷のその一つで、台所の裏、お勝手口は日が当たらず茗荷がよく育っていました。子供のころは暗くて何が出るかわからないお勝手口に行かされるのが嫌でした。それでも祖母が作る料理は新鮮な食材と祖母の腕前でいつも美味しいものばかりでした。日本海で水揚げされた新鮮な魚を茗荷で頂くのは最高な贅沢だっだ気がします。
祖母は30年前に他界、いつもかわいがってくれた兄貴分の従兄弟も15年前に旅立ってしまいました。祖母は大正生まれながらハイカラな人で、保険の外交員をしていたそうでよく東京に足を運んでいたそう。私が米国大学留学中に帰国すると興味深そうに留学生活の話を聞いてくれたものです。英語もすらすらと読める、正にハイカラ婆ちゃんでした。母の兄(祖父母の長男)もアメリカの病院で研修医として数年過ごしていて、意外に海外に行かせることに懸念はなかったのかもしれません。私はそんな祖母が大好きで、長女の名前も祖母から頂いたほどです。
数年ぶりに頂いた茗荷の味は懐かしい味でした。