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すとこターミナル

トランスフォーマーとか特撮トイとかレビューするブログです

今回はシリーズ最終回、ツイート貼ってテキトーに書いただけです。前回はこちら




トッキュウジャー終着駅(最終回)と始発駅(第1話)は対照的な点があるというのは第1回で触れましたが、このシーンはあからさまにそれを狙いに行っております。


レインボーパスが、実はライト達が書いた秘密基地の定期券というのを生かした終着駅の展開には唸らされました。
その割には実際のお支払いにも使えたりする最後まで謎の多いアイテムでした。

ホントかは知らん。



あくまで自分の中では、という話です(ここでガチ泣きした)。終着駅は終着駅で、 敵も味方も幸せな結末を用意して終わらせたのが日曜にやるお話としてはいいなあ、と思ってます。脚本家が日曜にはヘビーなお話を書くことで有名な方なので、意図して全体的にキャラが救われるようにしてるともとれます。
シャドー幹部はトッキュウジャーの手で最期を迎えることはありませんでした。はっきり言ってしまえばやや偽善的な匂いもするのですが、このおかげで物語の中のキャラクターは情感たっぷりの退場をしており、かえって深みが増したように感じます。


ほんとすき




ゼットこと大口兼悟さんのファンとキュアトゥインクルのファンには申し訳ない。



何でもすぐに答えを求めてはいけない……初見ではそれっぽいこと言ってるだけじゃんコイツwwwって思ってしまったけど、グダグダと終着駅を見て思ったことを書いてきた後にこのセリフを見ると、自分もすぐに答えをすぐに求めてしまう人間のように思えてきます。



今まで駄文にお付き合いくださりありがとうございました。次回からは通常運行に戻ります。
終着駅「輝いているもの」が好きな人はより思い入れを、終着駅に納得がいかなかった人は1ミリでも思い入れを持てる、そんな文章が書けたらなあと思いました。
一応ネットの、ブログに残すことで誰かが……来てくれたらいいなあ。
『烈車戦隊トッキュウジャー』に対する思いを、このブログに書いてみることで整理することができました。
トッキュウジャーはまだオリジナルビデオ『行って帰ってきた烈車戦隊トッキュウジャー 夢の超トッキュウ7号』での活躍がありますし、トッキュウジャーの次戦隊『手裏剣戦隊ニンニンジャー』も楽しみです(主にロボ方面で)

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烈車戦隊トッキュウジャーの終着駅について考えてみる その3 ~乗り換えチェンジ~
烈車戦隊トッキュウジャーの終着駅について考えてみる その4 ~光と闇~



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それではまた!
今回は、烈車戦隊トッキュウジャーにおける「光と闇」の概念やキラキラについて考えてみようと思います。前回はこちら

光と闇はお互いに食い合ってはいけない、バランスを保たなければいけないっていう発想は創作物ではよく見られる結論ですね。光があるから闇は存在し、闇があるから光はより輝いて見えるという関係です。烈車戦隊の最終回にもこれを匂わせるような発言があります。


○レインボーラインサイドの思想
レインボーラインの総裁は「闇に対抗できる力はひとつしかない。いや、ひとつでいい。夢、希望、想像、祈り、その全てに通じる」『イマジネーション!(ここは関根と堀江由衣のセリフ)』という発言をしています。
レインボーラインは人のイマジネーション―前向きな想いとでも解釈すべきでしょうか―から成り立っているようで、今やその路線は宇宙にまで到達しています。
前向きな考えが光だとするならば、後ろ向きな考えは闇だとします。
ここで気になるのは、「ひとつでいい」ってセリフですね。2つで十分ですよ
闇に対抗できる力はイマジネーションだけではなく他にも存在するのでしょう。
しかし、あえて闇に立ち向かう力をひとつに絞るのは闇を滅しすぎてはいけないからなのでしょう。後ろ向きな考えも人を奮い立たせるためには必要なのですね。
総裁はあくまで調和をとることを考えているのでしょう。シャドーは街を次々とシャドータウンにし、バランスを闇のほうに傾けているのでその反動としてレインボーラインの反撃があるのだと思います。
闇は完全に消えず、グリッタとゼットの撤退という形でひとまず戦いが終わった時がトッキュウジャーの任の解放のときでした。闇がまた侵略を始めた時にはまた反抗する動き(それこそトッキュウジャー2とか)が来るのだと思います。


○シャドーラインの思想
グリッタは「陛下の欲しかったキラキラは闇あってこそ。」と撤退時ゼットに語り掛けていました。
そのゼットは、闇の皇帝という立場でありながらキラキラを求めていました。闇至上主義というわけではなく、キラキラ―純粋な想い、光―を評価していたわけです。
後ろ向きな想い、邪念がシャドーラインを構成するならば、そのシャドーが侵略という動きをするのもある意味役割であり、ゼットは永遠に闇の側で居続けなければならない存在なのでしょう。

闇の側であったザラムがレインボーラインで働くのを見るに、おそらくシャドーでも光の側に転じることはできるみたいですが、ゼットは立場的にそんなことはできないんでしょうね……悲しいです。

ゼットが求めたキラキラはレインボーラインのものだけではありませんでした。ゼットを除くシャドー全員が、自分が消えるときにキラキラを手に入れてしまいました。
そうなるとシャドーの生態が意味が分からなくなってしまいますが……こればかりは謎であり、ちょっと生物学的な見地が必要になると思います(生物学者でも無理だろ)
ただ、イマジネーションが人一倍強かったはずのライトがシャドーのような存在になってしまった(第46駅、車掌さんが闇のトッキュウ1号を見て「というか完全にシャドー側になってるんじゃ……」と発言しました)こともあり、単に生まれた場所やその人生経験が違うだけで、シャドーも人間も光を選ぶか闇を選ぶかという選択肢はあるのだと思います。
また、その1で述べたように星祭りの灯篭も単なる明かりではなく願いの象徴であり、ゼットからすればただの光以上にキラキラして見えるのだと思います。
ゼットの言うキラキラというものは精神的なものという意味なのが一貫していますね。

次回はその他最終回のいろんな小ネタについて書いていこうと思います。

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烈車戦隊トッキュウジャーの終着駅について考えてみる その5~乗り換えチェンジ~

それでは次回!
玩具の紹介じゃない連続シリーズ3回目です。前回はこちら
今回は「乗り換えチェンジの効能」と、「虹のトッキュウ1号」について考えてみようと思います。

○虹のトッキュウ1号
虹のトッキュウ1号への変身に当たり、ライトは初めてトッキュウ1号オレンジに変身しました。
あっさり流されてしまったシーンですが、「乗り換えてオレンジ」はトッキュウチェンジャー玩具版の「乗り換えてビルド」とは違う音声であり、特別なものであることを感じさせられます。
虹のトッキュウ1号はレッド→ブルー→イエロー→グリーン→ピンク→オレンジ(ビルド)→ハイパーとトッキュウレッシャーを使っていくことで変身します。これはちょうど日本の虹の色と同じ7つですね(かなり色構成が違いますが。)
虹のトッキュウ1号はゼット・真をいともたやすく怯ませてしまうほどのパワーの持ち主ですが、攻撃が終了した後はすぐに変身が解除され、とどめはダイカイテンキャノンの接射でした。いくらライトが強力なイマジネーションの持ち主とはいえ、変身が持たないのでしょう。

○乗り継いでレインボー
「トッキュウ1号 レッド 乗り継いでレインボー」すべてを抱えて、未来へ乗り継ぐ、という気概を感じさせる音声です。違う道にただ転ずるのではなく、継いで未来を受けつぐ……と。これを考えた人は粋なセンスの持ち主だと思います。DXトッキュウチェンジャーには収録されてないので玩具的には面白くないけど。
この前の音声が「乗り換えてブルー!乗り換えてイエロー!乗り換えてグリーン!乗り換えてピンク!乗り換えてオレンジ!」とつづきものになっており、最後は「レッド 乗り継いでレインボー」と、つながりと結果を感じさせるものなのがいいですね。


○乗り換えチェンジの効能
乗り換えチェンジに意味があるのかどうかは、放送当初から散々言われていました。これは意図的なもの(スタッフすら意味を決めていない)で、他の戦隊……特にキョウリュウジャーのような玩具の販促をしっかりストーリーに絡めるような作品だったらガチガチに意味を持たせていたんだろうなあ、と思います。
で、意味がないなりに本人たちも活用をはじめ、始めは遊びのような側面も存在したのですが、
・乗り換え変身で攻撃担当とサポート担当を入れ替える(第7駅)
・敵がトッキュウジャーを色で認識していることと乗り換え変身を知らないことを利用して、ブルーがまるで他の場所から現れたように見せかける(第8駅)
・時々は学級委員後退させてね♡(第9駅)
・敵に吸われる寸前剣が使えるレッドに乗り換え変身、突き破って脱出(第13駅)
・1人に5本を集約させ、次々に変身しながら消えることでまるで5人いるように見せかけ、この間に他の4人が陽動作戦を行う(第23駅)
・シャドータウンでは30秒しか変身できないので、1人に5本を集約させ、2分30秒戦えるようにする(第24駅)
などの単に意識なものから本当に役に立つ使い方までありました。この機能は乗り換えができない6号やハイパートッキュウジャーの登場以後はあまり使われなくなりました。

乗り換え変身の意味は特に明かされることがなく、トッキュウレッシャーを介して闇を受け渡すことでみんなの闇を平均的なものにして闇の影響を抑えるんだろうなあとか(6号が乗り換え変身できないところからの予想)、不穏話へのフラグかな?と思ってましたが本当に何もなく終わりました(泣)
で、乗り換えチェンジは「むやみに乗り換えるとチケット君が怒る」とか「トッキュウ6号は乗り換える必要がない」などの意味深なフラグがありました。

というわけで私が勝手に理由を作るなら
「乗り換え変身は実は最強形態に変身するために必要だった」です。身も蓋もないです。


○虹のトッキュウ1号への変身
2chとかTwitterの書き込みを参考にして私が考えたのは

「トッキュウチェンジャーは1~5号の順番をヒントに、レッド→ブルー→イエロー→グリーン→ピンクと変身することで初めてオレンジへの乗り換えが可能になり、この状態でハイパーレッシャーを使うと最強の姿になれるという仕掛けがあった。乗り換えチェンジや6号の乗り換え不可はこれを隠すため」

という説です。レインボーライン製の変身アイテムはシャドーに奪われると簡単に変身できてしまうぐらいセキュリティが甘いものでした。しかし、緊急時に使え、誰でも変身できるようなものでないといけないためプロテクトもかけられなかったので、苦肉の策として最後の姿に変身することだけは隠せるようにした、という発想です。
チケット君は、乗り換え変身はシャドーに何らかの意味があると勘ぐられることのないようにあまり乗り換えてほしくなかったんだと思ってます。実際は乗り換え変身があんまりシャドーには浸透していませんでしたが。

6号は最初から最終形態にはなれないサポート要員としての存在なのではなかったのでしょうか。だから乗り換えは必要なく、独自のシステムになっているのだと思います。トッキュウ6号に変身する虹野明は旅をするうちにトッキュウジャーの保護者的な一面が形成されていきましたが、スーツも似たような設計思想だったのだと思います。
トッキュウオーを構成する烈車が5本だったのも、最初から烈車そのものや前途のシステム管理の都合で烈車は5本という取り決めだったんだろうな、とか。

○ハイパーレッシャー
ハイパートッキュウジャーは劇中ではライトの「自らが列車になる」というイマジネーションであの姿になりました。ハイパーレッシャーを使用した時、変身できる姿が固定されているわけではありません。虹のトッキュウ1号への変身でも最後に使うことで変身者のイマジネーションをより具体的な姿で発動することができるのでしょう。
おかず総裁がハイパーレッシャーを渡したタイミングはイマジネーションが高まり使いこなせるようになった時だと思うのですが、おそらくこれでトッキュウジャーの戦力増、ハイパーレッシャテイオーやトッキュウレインボーの譲渡、さらには最後の姿へのレールを敷いていたのでしょう。なんと計算高い。

今回はここまでにしときます。次回は「光と闇」です。

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