46. 探求(The Quest)


すべての勇気を集めて、ひと跳びしなさい。

あなたはなお存在し続けるだろう。しかし、それはあまりにも新しいあり方で、もはや以前の自分と結びつけることはできない。それは断絶である。


古いものはあまりにも小さく、取るに足らず、狭いものだった。だが新しいものはあまりにも広大である。

小さな露のしずくであったあなたは、海そのものになるのだ。


しかし、蓮の葉から滑り落ちる露のしずくでさえ、ほんの一瞬は震え、もう少しだけ葉にしがみつこうとする。なぜなら、その先に海が見えるからだ。

いったん蓮の葉から落ちてしまえば、しずくとしては消えてしまう。


確かに、ある意味ではそれは「なくなる」だろう。露のしずくとしては消えるからだ。

しかし、それは失うことではない。

彼は海そのものになるのである。


そして、ほかのどんな海も限りがある。

だが存在そのものの海は、無限である。


私はこれまで何度も、ラビンドラナート・タゴールの美しい詩について語ってきた。

詩人は何百万回もの人生を通して神を探し続けてきた。


時には遠く、星の近くに神の姿を見かけ、その方向へ進み始める。

しかし、その星にたどり着くころには、神はすでに別の場所へ移ってしまっている。


それでも彼は探し続けた。

神の住まいを見つけると決意していたからだ。


そしてある日、驚くべきことが起こった。

ついに彼は、一軒の家にたどり着いた。その扉にはこう書かれていた。


「神の家(God’s Home)」


そのときの彼の恍惚を、あなたは想像できるだろう。

その喜びを、あなたは理解できるだろう。


彼は階段を駆け上がる。

そして、いよいよ扉をノックしようとしたその瞬間、突然、手が凍りついた。


ある考えが心に浮かんだのだ。


「もし本当にここが神の家だったら、私は終わってしまう。

私の探求は終わってしまう。


私はこれまで、自分の探求そのものと一体になって生きてきた。

それ以外のことは何も知らない。


もし扉が開き、神と向き合ったら、すべて終わりだ。

探求は終わる。


そのあと、私はどうなるのだ?」


彼は恐怖で震え始める。

靴を脱ぎ、再び美しい大理石の階段を静かに降りていった。


彼の恐れは、ノックしていなくても神が扉を開けてしまうかもしれない、ということだった。


そして彼は走り出した。

それまでにないほどの速さで。


これまでも彼は、できる限り速く神を追いかけてきたつもりだった。

しかしこの日、彼はこれまでにないほどの速さで走った。

振り返りもしなかった。


詩はこう結ばれている。


「私は今も神を探し続けている。

私は神の家を知っている。だからそこを避け、ほかのあらゆる場所で神を探している。


その興奮は大きく、その挑戦もまた大きい。

そして探し続けることで、私は存在し続けている。


神は危険なのだ。

私は消滅してしまうだろう。


しかし今では、神さえも恐れてはいない。

どこに住んでいるか知っているからだ。


だから私は神の家を脇に置き、宇宙のあらゆる場所で神を探し続けている。


そして心の奥深くでは知っている。

私の探求は神のためではない。


私の探求は、自分のエゴを養うためなのだ。」


ラビンドラナート・タゴールは、一般には宗教と結びつけて語られる詩人ではない。

しかし、この詩を書けるのは、並外れた体験を持つ宗教的な人だけである。


これは単なる詩ではない。

そこには非常に偉大な真理が含まれている。


状況はこうである。


至福は、あなたがそのまま存在することを許さない。

あなたは消えなければならない。


だからこの世界には、至福に満ちた人があまりいないのである。


苦しみは、あなたのエゴを養う。

だからこの世界には、これほど多くの苦しんでいる人がいるのだ。


問題の核心、中心点はエゴである。


究極の真理を悟るためには、代価を払わなければならない。

その代価とは、エゴを手放すことにほかならない。


だから、そのような瞬間が訪れたら、ためらってはいけない。


踊るように消えなさい。

大きな笑いとともに消えなさい。

唇に歌をのせて、消えなさい。