3. 悟り(Enlightenment)

あなたが何をするにしても、深い気づきをもって行いなさい。そうすれば、どんな小さなことも神聖なものになります。料理や掃除さえも神聖なものとなり、礼拝となるのです。

問題は「何をしているか」ではなく、「どのようにしているか」です。


床をロボットのように、機械的に掃除することもできるでしょう。「やらなければならないからやる」――そうしてしまえば、そこにある美しい何かを見逃してしまいます。本当は床掃除は素晴らしい体験になり得たのに、あなたはそれを逃してしまうのです。床はきれいになっても、あなたの内側で起こり得たはずの何かは起こらないままです。もしあなたが気づき、目覚めていたなら、床だけでなく、あなた自身もまた深い浄化を感じていたことでしょう。


気づきに満ち、光り輝く意識とともに床を掃除しなさい。働くときも、座るときも、歩くときも、ひとつだけ途切れない糸のように持ち続けるべきものがあります。それは、あなたの人生の瞬間瞬間を、より多く意識の光で満たしていくことです。

一瞬一瞬、一つ一つの行為の中で、気づきのろうそくを灯しなさい。


その積み重ねこそが悟りなのです。

すべての瞬間が合わさり、小さなろうそくが集まって、大きな光源となる――それが悟りです。


物語によれば、ゴータマ・ブッダが亡くなったとき、彼は楽園の門にたどり着きました。その門が開くのはごくまれで、何世紀に一度あるかないかです。毎日訪問者が来るわけではありません。そして誰かがその門に到着するたび、楽園全体が祝福に包まれます。ひとつの意識が花開き、存在はこれまで以上に豊かになるのです。


門は開かれました。すでに楽園に入っていた他の悟った者たちが集まっていました。仏教には神はいませんが、悟った人々は神のような存在です。つまり、悟った人の数だけ「神」がいるのです。彼らは音楽と歌と踊りとともに門の前に集まり、ゴータマ・ブッダを歓迎しようとしました。


しかし驚いたことに、彼は門に背を向けて立っていました。彼の顔は、彼が後にしてきた遠い岸辺のほうを見つめていたのです。


彼らは言いました。「これはおかしい。あなたは誰を待っているのですか?」


彼はこう答えたと伝えられています。

「私の心はそんなに小さくはない。私は、道の途中で苦闘している、後に残してきた人々を待っているのだ。彼らは私の旅の仲間だ。門は閉じたままでよい。私が楽園に入る祝祭は少し待ってもらおう。私は最後の一人としてこの門をくぐると決めたのだ。すべての人が悟り、この門を通り、外に誰も残っていなくなったとき、そのときが私の入る時だ。」


もちろん、これは物語です。事実そのものではありえません。ひとたび悟れば、あなたは宇宙的な生命の源へと入らざるをえないのです。それは選択や決断の問題ではありません。


しかし、この物語は、彼が亡くなる前日に語った言葉から生まれました。彼は「あなたたち全員を待つ」と言ったのです。


彼はもうこれ以上ここで待つことはできません。すでに限界を超えて待ってきました。本来なら、もうとっくに去っているはずでした。しかし、あなたの悲しみや苦しみを見て、どうにか自分を保ち続けてきたのです。それもますます難しくなりました。彼は――名残惜しくはあっても――去らなければなりません。


けれども彼は、向こう岸であなたを待っているでしょう。楽園には入らない、それが約束なのです。


「だから忘れないでほしい。あなたのために、私は何世紀でもそこに立っている。しかし急ぎなさい。私を失望させないでほしい。そして、あまり長く待たせないでほしい。」