ありがとう | クピピダイヤリー
急に子供が3人いる大家族みたいで忙しい毎日を過ごしています。

って言ってもゴエは三姉妹の長女で今回の家族事情で実家に戻ってきているのですが
次女がすぐ近くに住んでいて子供3人いるのです。
これまた ゴエとはエライ正反対の妹でして
言うのも恥ずかしいぐらい いけてないのです。

全部は説明できないぐらい過去から現代に渡って問題を起こし
これまでの十数年間に渡り 全く成長しない次女。

‘3人の母’となっても‘女’を捨てないで
次から次へと 男の人を変えては騙されたり 子供を身ごもったり
結婚、離婚、出産や中絶を繰り返す。
ゴエの家族は(特に両親は)このわがまま勝手な次女に
振りまわされていた十数年でした。

そして 今でもそうです。
子供をほったらかしにし、まだ保育園の小さい子供を
ゴエパパ(ゴエの父)に預け、色んな理由をつけて頻繁に外出し 
子供が待っているのに夜遅くになっても帰ってこない事もよくあるのです。

昨夜も‘お見舞いに病院に行ってくる’と言いながら
面会時間は既に過ぎているハズなのに帰ってこない。
真夜中にクーラーボックスに魚いっぱい詰めて帰ってきたそうです。

こんな通らない理由や嘘を平気でつきながら
毎日、ゴエパパは怒りとため息で
ゴエママがパニックって倒れた時のように 
ゴエパパを苦しませています。



ゴエが早く実家を出たかったのも 次女に家族全員が振り回されているのが
嫌でした。

実家を出て9年、離れていてもやっぱり家族だから親が困っているのに
ほっとけないゴエは気にして 週に何度か実家に帰ったり
電話でも話を聞いていました。


そして、ゴエママ(ゴエの母)が亡くなった事で手術したばかりの父が一人で暮らしながら
孫3人の世話も出来る訳もなく戻らないといけない状況になった。


それまでゴエママが3人の孫の学校行事や毎日の食事、中学生2人のお弁当を作って
ゴエママとゴエパパが生活面、金銭面でも 妹が働いても贅沢に使うので足りず、
かなりのサポートをしていたのです。


今までの9年間、ゴエも色んな事もあって母親が
「家(実家)に戻っておいで」と何度か言われた事がありました。


それも母が倒れる3日前も言ってました。


自分が辛い時にこそ ゴエは次女を見ていて思いが強い分、
両親には絶対に迷惑をかけたくなかったし
それより、何があっても戻りたくなかった理由は
「次女と3人の子供に振り回されるから 
 戻るとしても完全には実家に戻らず近くに住むよ」
と母親に断っていたのです。

でも断ってからのゴエママの寂しそうな顔は見れないほど
とっても頼りにされているのが解っていました。

きっとゴエパパの看病と孫達の事、
全く感謝してない態度で偉そうにして勝手な次女に
すごく苦しんでいたハズなのです。

だから そんな両親を知っているのでゴエは全く協力してなかったのではありません。
当然、今まで何度か出てきている‘プチゴエ’とは 次女の一番上の子供であります。
そんな家庭事情で振り回されている姪っ子達をゴエママほどではないのですが
ほっとけなかったので 色んな所に連れていったり 
一緒に行動することも多かったのです。

母と最後に会った日も甥っ子が中学生になり、テニス部に入部したので
「ラケットを一緒に行って選んで欲しい」と
申し訳なさそうに頼む丁重なメールがきてたので
一緒にゴエママと大型スーパーへ買い物をした後
甥っ子のラケットも買いに行ったのです。

グリップのサイズとかボールの種類とか
細かい事が解らない甥っ子や母親は ゴエが知って選んだ事に
助かって喜んでくれました。

それも また自分の子供であるゴエにいつも感謝の言葉を言いつつも
次の日はメールでも「昨日はありがとうございました。とっても助かりました。」と・・・。

メールでも

会っても 

いつも いつも


‘ありがとう’の言葉。




頻繁に会っている母親だったのに いつも車で来ているゴエが帰る時は
「エ!もう帰るの? 
   ○○さん(←ゴエの下の名前) 今日はありがとう。気を付けて帰ってね。」

と言うのです。

いつの間にか頼りにされて呼び名もゴエだけ‘さん’付けになってしまった。
「お礼に・・・」とゴエの事を思って些細な事でも色々とくれるゴエママ。

最近では フェルトインコを作るのに
「縫うのは好きなんだけどフェルトを切るのは手が疲れてしんどいなぁ~。」と
言っていたゴエに包丁で有名な職人さんが作ったハサミを買ってきてプレゼントして
ビツクリした事もありました。

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ゴエママ(母)はゴエが気が引けるほど最近ではしてくれいて
今思えば ‘出来る時にしていこう。’と次女の事で大変なのに
ゴエに精一杯のお礼としてくれていたのだと思います。

お礼なんて 親子だから しなくてもいいのに・・・。



それも毎回会う度に‘ありがとう’という母親に
ゴエはいつも
‘私こそ ありがとう’
と思っていても照れもあって
「うん・・・(*´д`*)」としか返事が言えなくて・・・。


最後、元気な母に会って 帰る時もいつものように
「ありがとう」という言葉。

でも最後に直接会って話した日のゴエはいつもと違い
(照れて顔を見て言えなかったけど)
「こっちこそ いつもありがとう。」と言えたのです。

いつも思っていた感謝の言葉を言えた瞬間で
心の中がスッキリとした感じでした。


でも やっと言えた言葉が神様を聞いていたのでしょうか?


ゴエママ(母)は三日後、倒れたまま何も言わずに亡くなったのです。








いつも、何気ない事でもお互い電話したり 愚痴や出来事など
たくさん母と話す事が多かったゴエは
母がいなくても ‘母だったら こう言うだろうなぁ。’と
手に取るようにわかります。
それだけ お互い知っていたし血の繋がりもあるのだろうけど
母は今でも心の中で生きているのです。

‘ありがとう’



ゴエパパ(父)が ゴエママ(母)に言って見送った最後の言葉でもありました。