出雲国一宮 出雲大社と鳥取砂丘 (後半)
2019年4月
今日はお隣の鳥取県まで砂丘を見に行く。鳥取ライナーというJR快速に乗って。
車窓からは宍道湖が長いこと見えていた。
鳥取砂丘着。
寒い。天気はあまり良くなかった。
そういえば15年前に初めてここに来た時、砂丘の入り口にある石碑の前で写真を撮ったことを思い出し今回も同じ画角で写真を撮ってもらう。
家に帰って2枚の写真を比べてみたら、そーんなに変わらないかな!
15年前のインスタントカメラの画質に感謝をしつつアルバムを閉じるのでした。
砂丘の頂上までは深い砂に足を取られつつもみんな同じ前のめりの角度で楽しく登頂。
砂丘の山の向こう側は群青色の重たい海だった。前に来た時はそれはそれは快晴で海と空が真っ青だったのを覚えていたので少し残念。それでも母はサラサラの砂で遊んで楽しそうだった。
砂丘の入り口には博物館みたいのがあって、ちょうど砂丘のできる仕組みを実験で教えてくれるという。小学生くらいの男の子たちと一緒に小さな箱の中で砂紋が少しずつできるのを息を殺して眺めた。こうやってできるんだね、砂丘。
楽しみだった砂のアートミュージアムは閉館していた。しょんぼりしてお昼を食べることに。
母はラッキョウ入りグラタンを注文していた。私はあまり名物だからというだけで食べ物を選んだりしない。だから大抵何を食べたか覚えていない。
その後砂丘からリフトに乗って小高い丘に登る。到着した先には砂丘を見下ろせるお土産物屋さんがあった。
母はどこに行ってもお土産をたくさん買う。
友達が多いのだ。
あんまり友達がいない私はお土産をほとんど買わない。気まぐれにちょっとした物を自分に買うくらいだ。それも旅先では欲しい基準が大幅に下がっているので、家に帰ってから「何故だろう」というものを買ってしまったりする。だから旅の途中では買ってもいい基準をかなり引き上げることにしている。
買えばよかったという後悔の方が買わなきゃよかったという後悔よりも引きずらない気がする。
砂丘からの帰り道。電車の中では蟹三昧。
この日の晩は松江市内の民家に泊まった。
民泊というやつだ。私の提案で体験してみることにした。大きな二階建ての古民家で、人の家という感じはあまりしなかった。
ただ地方ではこれが普通なのか家の鍵が簡素な作りでなんだか心配でよく眠れなかった。
もちろん何事もなく朝が来て、近所のコンビニで朝ごはんを買ってきてコタツで食べた。
ひとりなら全然平気だけど、母と一緒だと旅先でこういう朝食はちょっと寂しいね。
一緒に旅してるのに、もてなせなくて申し訳ないという気持ちになる。
帰りはやっぱり出雲空港から飛行機で羽田までひとっ飛び。2泊あるとのんびりできる楽しい旅でした。
ところで母は行きのサンライズ号での晩、夢見が悪かったらしい。父が死ぬ夢を見たという。
そしてそれから半年後、それは正夢になるのだ。
なんて書くと安っぽい怪談話のようだが、事実である。
父は突然亡くなった。
私は以前から、親はもういないと話す人に出会う度、自分のことのような衝撃と、それでなぜ平気でいられるのかという戸惑いに毎回密かに心が震える。
自分が同じ立場になってみてもやはりそれは同じだった。この悲しみ、この喪失感、取り返しのつかないことが起こってしまったという恐ろしさを、心のどこにどう押し込めて立っていられるのだろうかと。
父を亡くした直後はそんな風に思っていたけれど、今は私も平気な顔ができるようになった。
だけど悲しみが消えたわけじゃない。
一緒にいることに慣れた感じだ。
そうか、こういう感じか、と今は思う。



