諏訪大社に行きました―2023年10月(その1) | 旅はブロンプトンをつれて

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ブロンプトンを活用した旅の提案

昨年の秋、諏訪大社にお参りにゆきました。
友だちと、それぞれお勧めの神社にゆこうということになり、三峯神社に連れて行っていただいたお礼に、今度は私の方が最近行った場所で最も印象深かった神社に友だちを案内することになりました。
仕事やプライベートでは伊勢神宮も平安神宮も出雲大社も太宰府天満宮にも行ったことがありますが、ちょっと遠いし、私はこれまでお寺を手伝っていて本も読んでいた関係から、どちらかというと教義の無い、というか、あとからいいとこ取りしていた神道より、古代インドから派生して中国の思想を取り込みながら日本に伝わった仏教の方に興味があったので、パッと思い浮かべられる最近行った有名な神社というと、鎌倉の鶴岡八幡宮と江の島の弁天様。
どちらも私にとっては地元のような感覚で、本来なら八幡さまよりお隣の荏柄天神社の方がお勧めなのですが、いかんせんあそこはメジャーではありません。


そのときにふと、2年前に旧甲州街道のゴールにたどり着いたときにたち寄った諏訪大社の秋宮を思い出しました。
ひと口に諏訪大社といっても、前宮、上宮、秋宮、春宮と4つのお社があり、前宮と上宮の2社は諏訪湖に注ぐ宮川を遡った上流方にあり、下宮の2社は諏訪湖の下手、すなわち下諏訪にあります。
なかでもいちばん観光スポットとして有名なのが、秋宮です。
上諏訪の駅前に泊まって、ブロンプトンで下諏訪まで旧甲州街道を走って朝一番で訪れたとき、以前中山道を通った際に立ち寄った際とは全然違う感じを受けました。
どこの神社でも、朝早く行くと昼間とは違う印象を受けるものですが、なかでもこの諏訪大社秋宮は、いつも観光客で賑わっている表情とは全然違う感じがしました。
そこですぐそばの春宮へ行ってみると、こちらはまた秋宮とはまた違う雰囲気をしておりました。


秋宮と春宮であれだけちがうのならと、同じ年の初冬にやはり上諏訪に宿泊して、朝一番で上宮と前宮に行ってみました。
すると、こちらはまた、下宮2社とは全然違い、ほの暗くてもっと厳かな感じがします。
こうしてみると、諏訪大社といっても4社それぞれにかなり違いがあることを、旧甲州街道の旅で知りました。
もともと武田信玄の側室、武田勝頼のお母さんにあたる諏訪御料人は、諏訪大社の祭祀たる諏訪頼重の娘で、この地の民を従えるために、敢えて側室としてその息子勝頼を後継者にしたわけですが、それが武田氏滅亡に至るという話は本で読んで知っていました。
しかし、諏訪大社は古代においては、この地を治めていた豪族の地母神で、それが大和民族などに征服されることによって、主祭神が代わったこと、そこにミシャグジ神がかかわっていること。
時代が下って鎌倉時代に入ると、上宮と下宮の間で対立が起こり、下宮は焼かれてしまったことなどを知りました。
ひと口に諏訪大社といっても、4社それぞれに深い歴史があるので、それぞれの趣が違って当たり前です。


でもそこは現代のお参りですから、東京の方からいって手前にある前宮、上宮、そして下諏訪に移動して秋宮、春宮、ついでに万治の石仏を見学し、諏訪湖名物の鰻を食べた後に、時間があれば
立ち寄り湯によって帰るプランをたてました。
さて、4社全部まわることにしたので、日帰りであれば往復の時間も考えて、かなり早く出ねばなりません。
もちろん、早くに到着すること、あちらでの移動を考えれば、マイカーしかありません。
三峯神社に行くときも早かったけれど、今度はもっと早く、4時過ぎに都内を出立しました。
友だちが、朝早く起きることに強かったことと、早立ちすることに問題なかったのが幸いしました。
途中、談合坂サービスエリアで休憩したのですが、そのとき友だちから今日出かけたことへのお礼を言われました。
私はこの時点でお礼をいわれたことがなく、大概は帰りに上り線の談合坂サービスエアで否定的な言葉をかけられてばかりだったので、この友だちの心根の優しさに胸を打たれました。
こんな朝早く連れ出してしまい、迷惑でなかったかと感じていたのです。


週末でもさすがにこの時間帯の中央自動車道はまだそれほどに混雑しておらず、前宮に到着したのは朝の6時45分でした。
高尾を始発電車に乗っても茅野到着は7時46分なので、列車でこの時間に到着しようとしたら、前泊するしかありません。
やはり早朝参拝にはマイカーの方が有利です。
前宮は4社の中でもっとも上流方の、宮川の水源に近い場所にあり、祭神が最初に居を構えた場所として諏訪大社発祥の地ともいわれています。
4社のまわる順番については、とくに取り決めは無いのですが、その名前と場所から、東京の方から行くと最初に訪れるひとが多いと思います。
しかし、ほかの3社に比べてシンプルでこじんまりしているため、ここを省く人もいます。
私などは、何回か行って、ここを省いたら損をすると思います。
なぜなら、上記の通りここが、諏訪大社が発祥した地であり、現在こそ八坂刀売命(やさかとめのかみ)をお祀りしているものの、それは後付けの解釈によるものであり、もとは上述のミシャグジ神を祀っていたという説があるからです。


上諏訪駅よりはひとつ手前の茅野駅にほど近い前宮の駐車場に車を停めると、手水で手を清め、一礼して銅製の鳥居をくぐり、前宮本殿への坂道をあがってゆきます。
途中、犬の散歩をしている人と友だちが少し言葉を交わしていました。
友だちも家族が犬を飼っていたからです。
その後、本殿前に到着してお参りをしました。
本殿の裏山からは水が流れ出しており、脇を通ってけっこうな量の水が勢いよく流れています。
以前来たときは週末の午後で数組のひとが並んでいました。
今日はこの時間ですから、さすがにだれもいません。
コポコポという水の流れを聴きながら、一礼二拍手二礼でお参りをすませると、神社の周りの四隅に立てられている御柱を巡ろうということになりました。


脇から裏手に回ろうとしていると、先ほどの犬の散歩をしていた人が寄ってきて、「これから木遣り唄の練習がはじまるよ」と教えてくれました。
木遣りって消防の出初式や田舎の結婚式で歌われるあれかと思っていたら、下から女性があがってきて、前宮本殿の裏手に進んでゆきます。
えっ?女性?と思っていたら、彼女は一段高い畑までいって、前宮を背に山の方を向き合いながら、両手を大きく広げて前方上に伸ばしながら、よく通る声で歌いはじめました。
何を歌っているのかよくわからなかったのですが、家に帰って調べたら、諏訪大社の御柱祭では御柱祭の際に用いられる木材を伐採し、山から出して曳いてゆくポイントポイントで、そしてハイライトとして有名な木落しのラッパに先立って歌われると知りました。
それに木遣り唄っていまでこそ儀式で歌われますが、そもそも労働歌であることも、今回知りました。


私は何回か諏訪大社にきているけれども、まさか木遣りをここでこのタイミングで聴けるとは思ってもいなかったので、友だちと顔を見合わせてしまいました。
彼女はひとしきり歌うと、10分もしないうちに降りてきて、今度は下に向って祈り、そして去ってしまいました。
もし、今日4時台に出発してこなかったら、最初にここ前宮を参拝しなかったら、そして友だちが犬と散歩している地元の人に話しかけなかったら、この唄を聴くことはできませんでした。
幸先からして不思議なお諏訪詣でのはじまりになりました。
坂をくだって駐車場にもどり、こんどは上宮へ向かいます。

(つづく)