青梅街道をゆく ブロンプトンで柳沢峠越え(その11) | 旅はブロンプトンをつれて

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青梅街道柳沢峠への道は、7月の初旬に鴨沢西バス停から登り始め、峠を越えたところで丹波山村に着いたところで終わっていました。
今日は奥多摩駅からのバスが入ってくる終点の丹波山村役場前から柳沢峠を目指します。
もたもたしていると後ろから来るバスに追いつかれてしまうし、そうしたら早い電車で来て鴨沢西バス停から登り始めた意味が薄れてしまうので、ゆっくりはできなかったのですが、ブロンプトンでほんの少しだけ青梅街道沿いの集落を観察します。
前回までに説明した通り、旧青梅街道が大菩薩峠を越えるのに、小菅道と丹波道がありました。
どちらがメインでどちらがサブというわけではなく、山あいの道なので、どちらかが通行止めになった時に補完し合う関係だったのだろうと思われます。


役場を見ると、小菅村同様に、地元産の木材を使用した建物に変わっていました。
丹波山村も林業が主体ですから、ヒノキからつくるアロマオイルや、木工製品などを林業サービスの一環として販売しています。
いまはハイキング客が主体ですが、かつて峠の往来があったときの宿は民宿として数軒残っています。
見たところ、寝るためだけの施設で泊り客はビジネスにしてもレジャーにしても、朝早く出立しそうな感じの宿でした。
ここに泊まって朝早くに柳沢峠を目指すほうが、夏などは車も少なく、自転車による気持ちの良い「多摩川さかのぼり」ができます。
その多摩川ですが、青梅街道からみてV字渓谷のかなり下の方を流れていて、迂闊に河原まで下る気にはなれません。
小菅村がすぐそこだったのに比べると対照的です。


前回もお断りしましたが丹波山村の「丹波」は、「たんば」ではなく「たば」と読みます。
語源は「撓む(たわむ)」から来る「タワ」や「ダワ」です。
山の稜線が撓んでいるところ、すなわち峠を指すのですが、これが転じて多摩川の「多摩」になったといいます。
ですから、奥多摩の奥に「多摩」の語源があったということになります。
これは「玉川通り」や「二子玉川」として残っている多摩川の美称である「玉川」も同様です。
これに対して「たんば」の方は、京都府の北部にある旧国名「丹波」に代表されるように、「田庭(たにわ)」すなわち「良い耕地のある住みやすい場所」という言葉が転じて「たんば」となったといわれているので、同じ漢字でも読み方が違うとずい分と意味が異なります。


役場の先にガソリンスタンドがあるので、ここの自動販売機で水を購入します。
お店自体はラジオがかかっているだけで誰も見えません。
その先も山の斜面に人家が続きますが、急峻な場所に建っているため、見かけはアルプスやチロルの山村みたいです。
集落の西端には青梅街道の右側、一段高いところに子安神社があります。
そして街道からは見えにくいのですが、子安神社の前を左折して左側一段低いところにあるのが、おいらん堂です。
これは戦国時代この上流にあった武田氏支配下の金山が閉山する際に、秘密保持のために鉱夫たちの慰み者になっていた遊女を淵に沈め、その亡骸があがったところと伝えられています。


おいらん渕に関しては、以前柳沢峠からのダウンヒルの際に詳しく触れましたが、あくまでも伝承であり、史実としてそういうことがあったかどうかは定かではありません。
実際にはもっと上流方で起きた事件とも伝えられています。
やがて雨量が一定量を越えると閉ざされるゲートがあらわれて、丹波山村ともお別れです。
しばらくはゆるいのぼりがつづき、逆に柳沢峠から下ってくると目印となる、丹波山集落よりすこし山奥側にある「キノコ販売の店」あたりまで来ると、すこしだけ下り坂にすらなります。
ここもなぜか大きな音でラジオがかかっているものの、人の姿は全く見えないのでした。
おそらくはクマ除けのためかなと思いながら先へ進みます。
緩い坂を下った先の丹波山村役場から2.21㎞の距離にある「余慶橋」で多摩川をわたると、これまで青梅からずっと左岸だった青梅街道は珍しく右岸に移ります。

(羽根戸トンネル)
その先滑瀞(なめとろ)渓谷の看板があるあたりで、多摩川は右に大きな谷を分けます。
この支流はすぐ上流方で火打石谷と小常木谷に分かれるのですが、どちらも地図をみると沢には峡谷と小滝が連続し、沢登りにはもってこいの谷のように思われます。
このあたり、ゆっくりのペースで登ってゆけば、ジョギング程度の呼吸で小径車でものぼってゆけます。
やがて役場から3.12㎞の地点で新羽根戸橋を渡り、すぐ羽根戸トンネルに入ります。
右手には旧羽根戸橋が残っていて、旧道が山を巻くように続いていますが、丹波山村側にはゲートが設けられて通行止めになっています。

わたしは旧道マニアであって廃道マニアでは無いから、探検しようとは思いませんが、それでも羽根戸トンネルが開通する前の2002年以前の青梅街道がどうなっていたのかには興味があります。

丹波山村をでてから実施はじめてとなる羽戸トンネルは、延長が305.1mと結構長く、なかの坂もきつめなので、なるべく車の少ない時間帯の通過をお勧めします。
トンネルの中でゼイゼイと息をしながら有酸素運動をやるのに、排ガス臭いとそれだけで憂鬱になりますから。
なお、トンネルを出て左後ろを振り返ってみると、旧道はがけ崩れをおこしていました。
ブロンプトンを担いでしまえば通過できそうですが、二次災害のおそれもあり、立ち入らない方が無難でしょう。


羽根戸トンネルをでてすぐ、船越橋、大常木橋を渡ります。
進行方向右手には山腹を巻くように旧道が見えていますが、概ねのり面が崩落して道路には礫岩や土砂がたまっています。
道路もメンテナンスのことを考えると、建設費用は高くても隧道を掘り、橋りょうを架けた方が経済的に有利なのかもしれません。
2つの橋を渡ってまもなく前方に見えてくるのが、羽根戸トンネル出口から490mさきにある丹波山トンネルです。
延長は151mと短いものの、やはりトンネル入り口の左手に旧道が見えていますが、こちらは岩で封鎖され、その先の藪もひどい状態です。
丹波山トンネルの開通は1989年と、この並びのトンネルの中ではもっとも古株ですから、開通以前の旧道もまた、放棄されてからそれだけの年月が流れている分、凄まじいことになっているのでしょう。
トンネルを出てすぐ渡る橋が、トンネルと同時に建設されて信玄桟道と名付けられています。
橋のネーミングにも、バブルの頃の匂いがします。


そして青梅街道は多摩川の蛇行に沿って大きくカーブを繰り返し、1.11㎞さきで泉水谷林道を左に分けます。
わたしが学生の頃は行き止まりで未舗装でしたが、いまは舗装されて(その代わりに多摩川を渡った先でゲートがあって車両は入れません)、地図で見る限り柳沢峠直下の青梅街道まで通じているようです。
泉水谷林道分岐から80mほど左側、小高く石積みがされた上に建てられているのが、尾崎行雄水源踏査記念碑です。
尾崎行雄(1858-1954)は政治家としても教育者としてもこのブログに登場しておりますが、この石碑は東京市長在任中の明治42年(1909年)に、丹波山村から大菩薩嶺北麓付近にかけての山を視察し、樹木がなく荒廃しているのをみて、水源を涵養するため森林の育成を思い立ったときの記念です。
当時の写真を見ると、木が一本もない、阿蘇山草千里のような風景が広がっていたことがうかがわれます。
今の森林の深さからすると、当時を全く想像できません。
それだけ山奥まで樹木が切りつくされていたということなのでしょう。


記念碑からカーブを繰り返して720m登ると、この区間でもっとも新しくて長い、かたなばトンネルに到着します。
長さ660mで2018年に完成しました。
両出口がカーブしているため、入口から反対側の出口は見えません。
但し中は直線が長く、丹波山村側から入るとトンネル内に長い直線の坂道がみえてくるという感じです。
ここも出入口左手に旧道は見えているものの、トンネルの入り口をわざと手前に伸ばすことによって、旧道への侵入をひと、車両ともに完全に遮断しています。
つまり、旧道に入ろうと思ったら、トンネル手前で左手の崖を伝わねば旧道には入れないようになっています。
手前の廃道があれだけ崩落していたため、「通行止め」と柵を設けるよりも安全なのでしょう。
ただ、山肌に沿っていた道がトンネルになることで道路の傾斜が増した分、小径自転車にはきつい坂道になっていて、トンネル内は涼しいものの、汗をかきかき登るという感じになりました。
長いトンネルを抜けると、柳沢峠側の出口には反対側と同様のつくりになっていたものの、旧道に通じる点検用の通路が設けられていました。
なお、かたなばトンネルを漢字で書くと、「刀刃」なのかと思って調べたのですが、よくわかりませんでした。


そしてすぐ150mさきで、大常木トンネル(2011年完成 延長355m)に入ります。
このトンネルも、入り口わきに山の上から水を落とすための水路が切ってあり、そこに橋が架かっていないために、旧道には入れないようになっています。
トンネル内の登り坂も相変わらずです。
そして出口から160mさき、岩岳橋を渡ったさきに一ノ瀬高橋トンネル(2008年完成 延長253.4m)が見えます。
岩岳橋の手前には右手に旧道が分岐しており、その谷の深さから、この旧道の先が前述のおいらん渕であることは、旧道が現役の時代から何度もここを通りかかった自分にはすぐわかりました。
しかし、旧道は多摩川(ここでは一ノ瀬川)に架かる橋が完全に撤去されていて通れないことが分かっているので、ここは付け替えられた新道をゆきます。
一ノ瀬高橋トンネルをでた直後に、右カーブしながら天狗棚橋を渡ると、山梨県甲州市に入ります。
右手には旧道の上流側入口が見えていますが、ここを入っていったレポートは以前お届けしているので、今回はこの丹波山村と甲州市の境にあたる天狗棚橋までにしたいと思います。