雨を避けて走る | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

といっても、雨滴と雨滴の間をすり抜けるとか、そういう話ではありません。

私は鉄道併用の折り畳み自転車ブロンプトン通勤を始めるようになってから、天気予報に注意するようになりました。

最近は夕方に家の外でテレビの天気予報を見る機会が増えたのですが、ネットの天気予報と比べると、かなり大雑把だなという印象を受けます。

マスコミですから、大衆に必要な情報を流すだけで、個々人のほうは問題にしないというのは先刻承知済みです。

あの人たちは、民衆の声を代弁し、民主主義の先頭にたっている意識でいるかもしれませんが、その実「我こそは」などと言いながら、実は単に目立ちたいだけの、傲慢になっている自己に気付かない人たちもかなり含まれています。

だから、そういう人が失敗すると、寄ってたかって苛めるのだなと感じ、そういう人たちの中に入っていたくないから、テレビを観るのはやめました。

しかし、こんな情報にかつては振り回されていたのかと冷めた目で見る自分がいるのも確実で、天気予報に限らず、あの業界の人たちの焦りが伝わってくるようになってから、ますます心理的な距離をとってニュースを観ている自分がいます。

と同時に、自分がその渦中にいることに気が付かないまま、テレビの捕囚になっている人たちが気の毒に思えてきました。

皆が皆そうではないのかもしれませんが、私はCMの影響で強迫的に食べ過ぎた経験も、「バスに乗り遅れるな」とばかりに世情にながされていた過去も、今素面になるためにあったのだと思えばこそ、そんなにメディアにかかわる人たちに対して目くじらをたてる気にもなりません。

前の日の天気予報は夜半から雨で、朝は雨脚が強くなるというのものでした。

寝ていると、深夜に雨音が聴こえてきました。

就寝中は意識がないとはいえ、いわゆるレム睡眠(身体は休息していても、脳は活発に活動している状態)のとき、耳だけは例外的に活動しているということを本で読んだ記憶があります。

なんでも、まだサルだった時代、樹上で眠るのに耳だけはすませておかねば捕食者につかまってしまう時代の名残だとか。

だから、寝ている人の前で悪口を言ってはいけない(目覚めているひとに口撃を仕掛けても、自分が惨めになるだけですが)と言いますよね。

それに、赤子に添い寝しいる母親が、寝ているわが子の僅かな変化も見逃さないというのも、耳だけは聞いているからだと私は思います。

雨音が聴こえるのなら、雨が止んだのにも気が付くわけで、暗い中で時計を確認すると、4時前でした。

まだ電車は走っていないと思いながらも、少しウトウトして5時前には家を出ることにしました。

ネットの雨雲レーダーでは、30分後に雨が降り出すとのことです。

外に出ていつものように自転車を走らせていると、いつもは走っている人が目立つのに代わって、駅へいそぐ歩行者が多いように感じました。

きっと前の晩に雨の予報をきいて、早起きして家をいつもより早く出たのだと思います。

歩くのなら雨が降っていてもやんでいても変わらないかといえば、そうではありません。

歩くにしたって降っていないほうが数倍楽です。

朝食は家の近所で済ませて、武蔵小杉駅から電車に乗って渋谷駅付近で雨雲の動きをネットで確認すると、「まもなく雨がやみます」とのこと。

ちょうど自宅付近で雨が降り出す前のときに、まさに都心は降っていて、私が電車で移動しているときに雨雲とすれ違いになったという感じでしょうか。

雨があがったばかりの都会の道をブロンプトンで走るのも、また気持ちの良いものです。

私が毎朝出勤前にランニングを欠かさない人であれば、今日は運動はお休みとなっていたはずですが、こうして自転車で走る場所を選択できるおかげで、通勤途中にちょっとした有酸素運動が続けられます。

そしてこういう習慣の積み重ねが、以前のように通勤時に往復で50㎞以上を走る、たまには山に登ってみるという結果につながるのだと思います。

(おわり)