雨の日の通勤にはじめてブロンプトンを使ってみました。 | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

先日のことです。

前夜に天気予報をみていたら、「夜半から雨が降り出して、朝の通勤時間帯には荒れ模様となるでしょう」とありました。

天気予報は外れることも多いし、雨が降ったりやんだりの天気の際には間隙をぬって駅まで10分の距離をブロンプトンで走ってしまうこともあるので、とにかく30分ほど早めに起床して雨雲レーダーを確認してから考えようと思い、床に就きました。

すると夜半から風が吹き出し、寝ていても分かるほど雨が戸や窓を叩いている音が聞こえていました。

10代のころはこうした音には全く気付かなかったのですが、歳を取ると寝入りは深くてもその睡眠の質が長続きせず、早寝した時も遅く寝た時も一律で、浅い眠りが惰性のように続く感じがします。

いつもきまって目覚ましをかけた時間の5分前に自然に目が覚めるというのは、自分でも気が付かないままに、寝ながらにして時計をチラチラ確認しているのではないかしらんとさえ思います。

外れてくれたらラッキーだと思っていた天気予報は、どうやら当たってしまったようです。

明かりをつけると覚醒してしまうので、暗い中でスマートホンを操作して皆さんご愛用の雨雲ズームレーダーを覗きます。

すると、ところどころに雨雲が切れているものの、自分の住んでいる地域はちょうど線状降水帯というのでしょうか、激しい雨の通り道になってしまっているようで、先程から降り出した雨は当分やみそうにありません。

さてどうしたものか。

この時点で私に取れる選択肢はただ二つ。

ひとつは、もう1時間半ほど寝て、路線バスの始発に乗って駅まで行く。

もう一つは、いまから準備して雨対策もして、駅まで25分の道のりを暗い中歩いてゆく。

路線バスはこのような荒天の日は、始発便から激しく混雑しているので、下手をすると始発バス停まで6~7分ほど歩いて、バス停に並んでからでないと、自分の乗るバス停を通過してしまう恐れさえあります。

しかし、待ち時間を合わせて10分以上かけるなら、もう15分早く出て駅まで歩いてしまったほうが手っ取り早いと思います。

それに、どちらの選択肢でも運賃系統が切り替えになる渋谷駅でいったん下車して外を往復し、朝食を食べねばなりません。

だとしたら、少しでも早い電車に乗れる「駅まで歩く方法」の方が「路線バス利用」より有利かつ安心です。

ということで、暗い中をごそごそと起きだして、身支度をはじめます。

まずは雨の降り具合がどうなのか、実際に外へ出て確認してみます。

すると、雨もさることながら風が強く、傘を差してもさしたる意味はなさそうです。

それでも身支度を整え次第、安いビニール傘を持って玄関から出て20メートルも歩かないうちに、風で傘が裏返しになって、見事に骨が折れてしまいました。

うーむ、いつもは神々しい朝焼けを見ながらブロンプトンで走り出すのに、早朝からいまいましい暴風雨よと思いながら、家に戻る際、ヘルマン・ヘッセの詩の一節が思い浮かびました。

 

「人生を明るいと思う時も、暗いと思う時も、
私は決して人生をののしるまい。
 

日の輝きと暴風雨とは
同じ空の違った表情に過ぎない。
運命は、甘いものにせよ、にがいものにせよ、
好ましい糧として役立てよう。」

(「困難な時期にある友だちたちに」ヘルマン・ヘッセ詩集 髙橋健二訳 新潮文庫刊)

そんなたかが風雨ごときで大げさなと思われるかもしれませんが、こうした小さいことの積み重ねが「より善く生きること」の礎となってゆきます。

朝から祈る人を馬鹿にして、常に怒りや嫉妬の対象を追い求め、それがなければ今度は怒鳴りあうような政治談議や時事問題、戦争の話題を持ち出すメディアを「さびしいから」とか「時報代わりに」とつけっぱなしにしてそれに聞き入る習慣を続けている人は、いつかそのメディアの前で痴呆化する自分が想像できないのです。

なぜならすでにメディアに魂を奪われているから。

それはさておき、とにかく代わりの傘をとりに玄関に戻りました。

そして、この朝イチからの苦々しい状況を好ましい糧に変える方法を冷静に考えてみました。

ふとみると、雨天時にオートバイに乗る際に着ている雨合羽が目に入ります。

そして足元には防水性の高い短靴もあります。

これを着て駅まで10分間で走れば何とかなるのではないか。

つまり、そのまま電車に乗れるのではないか。

そういえば、雨の日の駅地下駐輪場は雨合羽が軒並み干した状態でその下に自転車を停めています。

天気予報は午後からは晴れです。

であれば、とにかく電車に載せてしまい、下車駅のコインロッカー(一日700円也)を使えば、帰りに引き取って走って帰れるのではないか。

いや、雨が止んだらお昼に駅まで行って引き取れば、午後は仕事での移動にも使えるかもしれない。

朝ごはんはどうしよう。

そうだ、お隣の駅前には朝4時からやっている牛丼チェーン店があって、鎌倉へ通っていた時はよく利用していましたっけ。

これらのことが矢継ぎ早に浮かんできて、すぐに合羽を着こんでみました。

裾が長めで足首やくるぶしは完全に隠れ、靴の先端だけが露出しています。

うん、問題ない。

けれどオートバイ用のヘルメットと違って自転車のそれは雨除けにはなりません。

それに、合羽をもって歩くという事はできるだけほかの荷物は減らしたいのです。

そこで、降雨量はそれほどでもないのをいいことに、いつ被っているキャップをかぶりました。

これで体は問題ありません。

あとはブロンプトンです。

ブロンプトンが濡れることによる最大の懸念は、シートピラーが濡れたままに畳んでしまうと、受け皿になっているスリーブが劣化して、ちゃんと体重を支えられなくなり、乗っている途中に椅子が落ちてしまう不具合が出てくるのです。

交換には手間賃も含めて一万円以上の費用がかかります。

すると、台所にあるキッチンペーパーが目に入りました。

いままで雑巾や水泳で使うセーム皮など、色々試してみましたが、細かい水滴までは拭ききれずにいて、上述のような不具合を甘受していました。

しかし、キッチンペーパーなら完璧にふき取ってくれるし、ティッシュのような拭きカスも出ないし、拭き終わったらゴミ箱に捨てて荷物にもならないしといことでそれをカバーが入っているシート下の袋に何枚か重ねて畳んでねじ込みました。

一応装備をまとめると以下の通りです。

・オートバイ用の雨合羽上下

・防水性の高い短靴

・防水スプレーを少々ふりかけた普通のキャップ

・キッチンペーパー

・大き目のビニール袋(雨合羽や濡れた帽子を入れるため)

 

さあ、雨など物ともせずいざ往かん。

走り出した途端、パラパラと合羽が音を立てます。

タイヤからは水が跳ねているようですが、ちゃんと泥除けにおさまって体にはかかってきません。

なんだ、意外に走れるじゃないかと感じました。

すると、いつもは走り出したらどんどん雨脚が強くなって「なんだこれは」と閉口するところ、逆にだんだんと小やみになってきて、「あれ、大した雨ではなくなってきた」になりました。

まだ早朝なので人気もまばらな改札口前で雨合羽を脱ぎ、キャップとともにビニール袋に収め、それを鞄に入れてしまいます。

合羽を畳む前に払うと、さすがオートバイ用です。

撥水性が高く、水滴は一瞬にして取れてしまいました。

ブロンプトンの方はそうは参りません。

そしてキッチンペーパーで念入りにシートピラーの水分をふき取った後、余った紙でフレームの水滴も拭きます。

やはり吸水性は抜群なのか、タイヤホイールやスポークまでは手が回らずとも、おおよその水は拭きとれました。

そしていつものようにカバーをかけて改札をくぐり、一駅乗って下車して朝食を食べ、また戻って電車に乗りました。

1時間半も早く起きたので、その次の駅からの始発電車に乗ることができ、下車駅までゆったりと座ってゆけました。

そして都内で下車してみると雨はやんでいます。

確認してみると、どうも線状降水帯が少しずつずれてゆき、私の家も目的地も外れてしまったようです。

これなら駅のコインロッカーを利用する必要はありません。

仕事場に行って、空調機の下で雨合羽とキャップを干しましたが、1時間もしたらカラカラに乾いたので、丁寧に畳んでビニール袋に収めて、鞄にしまいました。

その日の仕事帰りは雨上がりの空のもと、夕日が美しく、それを見ようと都内から家までブロンプトンで走りました。

腕が痛くなって自転車に乗れませんでしたが、すこしましになってきたので、このような日はできるだけ乗りたかったのです。

 

「人生を明るいと思う時も、暗いと思う時も、私は決して人生をののしるまい。」

いま人生をののしるだけになってしまった高齢者や、他人をののしることが生きがいのようになってしまった中高年をみるにつけ、私は残りの人生、何に対しても感謝の気持ちをもって生きてゆきたいと思い、こんな荒れ日にもそのことに気が付けた、これまでの人生といまの生活、そして人とのつながりを改めて大切にしようと思うのでした。